仕事の合間にこっそりと小説を書いている大人です。電子書籍とオーディオブックを含む年間50冊読破を2020年の目標にしています。最近読んで面白かったのは、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」です。よろしくお願いします。
西暦2000年代、日本の新幹線が台湾を走ることに決まった。某大手企業に勤める主人公の多田春香は、新幹線を無事開通させるという使命を帯び、上司および同僚らとともに台湾へ渡る。 事業は初っ端から難航する。スケジュール通りに行くのが当然と考える日本チームと、スケジュール通りに行かないのが当然と考える台湾チーム。春香の上司はストレスを抱え、既婚者でありながら、歓楽街の若いホステスと飲み歩くようになる。春香は生来のたくましい気質により激務に耐えていたが、日本に残してきた恋人が鬱病になり、そのことで悩まされることになる。 大筋はこんなところだが、当作にはほかにもさまざまな人物が登場する。連れ合いを亡くした在日台湾人の老翁や、9年前に1日だけデートした日本人女性を未だ忘れられずにいる台湾人男性、進学先で日本人に妊娠させられた幼なじみを思い続ける台湾人青年など。 彼らの存在は、話の本筋を語る上で必ずしも重要ではない。しかし、この長大な物語を魅力的な人間ドラマたらしめているのは、こうした人々の織りなすサイドストーリーに他ならない。 外国に新幹線を開通させた人々の苦労を軸に、祖国を捨てざるを得なかった人々の悲しみ、ほろ苦い恋愛、家族愛などが複雑に絡みあう。そして、新幹線開通とともに、彼らの人生に新しい路が敷かれる。感動作と呼ばれるに相応しい一冊だった。またいつか借りて読みたい。
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西暦2024年の日本で安楽死が合法化され、末期癌に冒されたある女性政治家が、安楽死第一号に名乗りを上げる。彼女の死は社会に大きな波紋を齎すことになる。アルツハイマー患者の女流作家、病院を追われた心臓外科医、多発性硬化症の恋人を持つカメラマン。一見すると関係がなさそうに見える人々の物語が、「安楽死特区」を軸として繋がり合い、1つの物語を紡いでいく。 一般的にほぼ同義として取り扱われがちな「安楽死」と「尊厳死」であるが、著者は両者を明確に区別しているようだ。安楽な死に方など存在せず、ただ「自分はこうやって死にたい」という各個人の意思を、周囲がどれだけ尊重できるかという問題でしかない……ということらしい。医学博士として、人生の幕引きに関する何冊もの著書をもつ人のメッセージとして、個人的に重く受け取った。 日本の社会保障制度の破綻ぶりも随所で風刺されており、作中では、金がないと高度な医療を受けられなくなった現実が語られている。こうした中、「安楽死に賛同する人々は富裕層ばかり」という旨の記述もあり、「成る程」と思わされた。 登場人物の多くは実在の人物をモデルに描かれており、2024年という「ちょっと先」の未来に現実味を持たせている。「トランプ政権」や「オリンピック」など、今現在の社会と繋がる単語も散見される。それでいて、最終ページの「この物語が近い将来、現実にならないことを祈っています。」という言葉で物語は締め括られる。「安楽死特区」ほど極端でなくとも、それに近い状況に陥ることを危惧しての言葉ではないだろうか。そう考えると、この物語の平穏な結末さえ、苦いものに感じられる。
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主人公は中学の国語教師。政治家の娘と結婚を前提に交際しており、いずれは教師を辞めて政治家を継ぐつもりでいる。本人はもともと小説家を志していたが、鳴かず飛ばずで、半ば仕方なく教職に就いたという過去を持つ。自分は有能だと思い込んで周囲の人間を見下す傾向にある。 ある時、市の教育長の娘が書いた読書感想文に盗作疑惑が掛けられる。主人公は、その感想文の指導をしていたという立場から、この問題の責任者に祭り上げられる。中学校教諭としてただでさえ多忙を極める中、校長のスピーチの草稿を書かされ、保護者会で槍玉に挙げられる主人公。婚約者とその父には、問題解決を通して、政治家としての資質を容赦なく値踏みされている。主人公は次第に追い詰められていく。 主人公が自らを山月記の虎になぞらえる場面が何度も出てくる。あの虎が人間に戻れないように、この物語の主人公にも救いはない。ラストシーンのモノローグは「叫んだ」のではなく「咆えた」と表現され、彼もまた李徴のように、後戻りできない「虎」に変じてしまったことが暗示されている。 山月記は好きだが、この物語の場合、主人公の境遇に救いが無さすぎて、読み進めるのがとても辛かった。面白かったけれど、多分二度は読めないと思う。
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英国人のジャーナリストが書いたブコウスキーの伝記。巻末にまとめられた謝辞と参考資料の多さが、取材と資料収集に掛かった筆者の労力を窺わせる。 破天荒で無軌道な振る舞いの裏に隠された、孤独や怒り、そして創作活動への執念。まさに小説よりも奇なる人生。
仲間や近しい存在の死に触れた動物たちのエピソードを積み重ねながら、彼らの感じる悲しみや、死を悼むということについて考える。 目の前にいる動物の思考や感情を解釈するとき、人間の思考法を基準とするのではなく、その個体の本来の思考や感じ方がどうであるのかを考慮すべきだと示唆している。 このような考え方を、動物行動学者ではなく、人類学者である彼女が本にしてまとめているという事実は、実に興味深い。
作者がノーベル賞をとってから、ずっと読んでみたいと思っていた。最寄りの図書館には置いていなかったが、旅先で思いがけず出会うことができた。 素晴らしい一冊だった。主人公は気品と分別を備えた壮年男性で、人生の盛りを過ぎ、これからの生き方を模索している。勤勉で有能な人物だが、自分自身の気持ちには極めて鈍感である。その不器用さゆえに、かつて相思相愛だった女性に去られている。この女性と、仕事終わりにココアを飲みながら、毎晩のように業務の打ち合わせをしたことが語られている。それは2人にとって大切な憩いのひとときであったはずだが、主人公は頑なにそのことを認めようとしない。このあたりの描写が実に見事だ。 そんな彼が、おそらく人生初と思われる自動車旅行をして、その女性に会いに行く。山あり谷ありの一人旅が、主人公の人生と重なる。読後には、深い余韻が残る。休日の1時間半を割くに値する一冊。最高だった。
ズシンと重く響く名著。数々のインタビューが丹念にコラージュされており、行間から女性たちの感情が鮮やかに滲む。 単なる戦争の話に留まらず、人間そのものを綺麗事抜きで真摯に描き出しているように思う。目を覆いたくなるような残虐性も、甘酸っぱい恋心も、すべては人間の中にあるのだ。 これほどの本を書く才能の持ち主が「祖国の恥を晒した」として故郷を追われたのは、まことに残念なことだ。しかし、悲惨な体験の果てに勝利を手にした人々にとって、ありのままの戦争体験を書籍という形で目の前にぶら下げられることは、必ずしも喜ばしくはないだろう。それもまた、綺麗事でない人間の感情だということか。