さんの書評2023/03/2510いいね!

失われつつある人情や情緒を思い出させてくれる作品

極端な性格の人間や異常な境遇・猟奇的事件などを殊更に取り上げることなく、ごく普通で当たり前の人間や事柄を、SF作品を思わせるリズミカルな筆致で描きながら、不思議と心に迫るドラマになっている。 滑らかで読みやすいこと(因みに、難読漢字には悉くルビが振ってある)もさることながら、近年、失われつつある温かい人情や情緒といった人間にとって大切なものを、改めて思い出させてくれる好著である。 病気になって初めて健康であることのありがたさを知る、のではなく、普段から健康のありがたさを知っていたいねと語りかけてくれる、そんな小説群だ。 その意味で、本書の題名が生死に関わる取っ付き難い硬派な物語をイメージさせるとしたら些か惜しかった気がする。題名そのものにユ ーモアが込められているとはなかなか気付きにくいからだ。【きせき の きせき】とあれば、前後何れから読んでも同じ、いわゆる回文になっているではないか。 本書の著者は、夏目漱石の『三四郎』を愛読書として掲げているが、落語を殊の外愛した漱石にはかなりの影響力を受けているようだ。 日常的な話であっても、リズムに乗せられて架空の世界に取り込まれると、いつの間にか、夢の中に入り込んだような不思議な気持ちにさせられる。どこか不安を感じさせる事象が登場すると、これは悪夢に入り込んだかと錯覚する。 しかし、その不安を物語の終わりには解消してくれる言葉が添えられ、不安は解消して物語は終わる。この辺りは、落語の落ちの技法に倣ったのであろうか。 円谷プロの「ウルトラマン」シリーズの中でも「ウルトラセブン」は、シリアスなテーマをも積極的に取り上げた意欲的な作品であり、ファンの間でも根強い人気を誇る傑作だ。そんな作品の主人公のダンと相棒アンヌ隊員の名を拝借する設定には、心を掴まれた。その他にも散りばめられたウルトラマンネタには思わず笑みがこぼれる。 設定も然ることながら、肝心のストーリーも見事であった。まずは目の付け所が良い。電車の遅延や急停止といった日常のひとコマを切り取り、ここまで劇的な物語に仕上げる筆力には脱帽である。話の展開も、読み手をハラハラさせてくる仕掛けが満載だ。ようやく進んだかと思えばさらなる別なトラブルが降りかかり、なかなか二人は目的地に辿りつけない。道中離れ離れとなっている二人が取り交わすメールのやりとりの妙が作品にオリジナリティを添えている。短い文字の中にも彼らの喜怒哀楽が表現されており、短い作品ながら愛着が沸いてくるのである。読後は言葉で伝えることの難しさと尊さを改めて感じた。 本作品では、人間がよく書けているといって良い。「人間が書けている」とは、しばしば醜悪な面や露悪的な部分を殊更に描くことについて評される言葉だが、実はそうではない。登場人物の感情が読み手にそのまま伝わる、もっといえば顔が見えるくらいにその登場人物たちを描写することができていることこそを言うべきだ。その意味で、本作品は非常に読み応えがある作品である。多くの人に勧めたい。 尚、名ピアニスト矢島愛子氏が颯爽と登場する場面があり、庄司薫氏の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を思い出す人がいるかも知れない。 本書には、小説の幕間に、短いが漫才台本となり得る掛け合い漫才小説と銘打った短編が幾つか掲載されているのも愉快だ。この作者は、実に妙なことを観察している。その視点が面白い。斜に構えた視点から、漫才の形式を借りてオブラートに包みつつ呆れた世相をチクリとやる。かような漫才台本が書籍化されるのは珍しいのではないか。 今の殺伐にして暗澹な世の中、マスコミ、TVをはじめ、何が本当なのかわからん虚々実々の情報に人々が煽られていることに気付きもしない暗澹とした世相、真実や正しいことがなかなか通らず、虚偽・いんちき、ルールやマナー違反、恥知らずが跳梁跋扈するのを、善良な人々は見て見ぬふりをするしかないもどかしさを、やんわり批判する冷めた視点には苦笑いしてしまう。 因みに、本書は、2023年12月に、米国の名門ミシガン大学(University of Michigan)の蔵書とされた。専門分野として、ヒューマニティ(人間愛、慈愛、人情)やアジアとりわけ日本の言語や文化に対する資料とされるようだ。 詳しくは、図書館検索WorldCatを経由して、ミシガン大学図書館サイトを参照していただきたい。 本書の漫才作品は、出来ることなら、膨らまして【赤信号 皆で渡れば 怖くない】なんてやっていた頃の毒舌漫才ツービートを復活させて、もしくは、当代の知るひとぞ知る名コンビ、ザ・ギースのふたりを引っ張りだして、これらの台本を元に漫才を演じて貰いたいものだ。

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