帝国大学時代の夏目金之助に関心のある方にオススメ
明治25年7月の夏目金之助(漱石)の岡山逗留から120周年を迎えました。
今秋2012年10月、その全容について日本文教出版の岡山文庫280として
新刊 『岡山の夏目金之助(漱石)』が出版されます。
吉備路文学館副館長・熊代正英氏との共著です。
途中、なかなか進展のなかった孤独な調査を共にした
元祖・漱石足跡調査同行犬サフィーもあちこちに登場させてもらいました。
鳴くならば 満月になけ ほととぎす
岡山市内山下138番邸にて
明治25年7月19日火曜日午後
夏目金之助
「はしがき」から
夏目金之助(漱石)は、大学卒業前年の夏、一ヶ月余り、岡山に逗留しましたが、来岡の経緯には、夏目家と、その縁戚、臼井家の家督相続が絡んでいました。すなわち、明治16年4月、当時、夏目家を離れて臼井家を継いでいた臼井直則(金之助次兄、栄之助)が岡山電信局に赴任したことに端を発します。直則は、電信局の近くに住んでいた片岡機の長女、小勝と電撃的に結婚しました。 さらに、明治16年末、進学で上京した小勝の実弟、片岡亀太郎は夏目家に同居しましたが、直則の死後、明治21年、臼井家を継承し、臼井亀太郎を名乗りました。
これより、夏目家、臼井家、片岡家が重要な縁戚になりました。その後、岡山に戻った小勝が再婚し、亀太郎も婚約して慶事が重なり、金之助は、夏目家家長(和三郎直矩)代理として、祝意伝達や戸籍の移動など法的手続履行の任を帯びて来岡しました。 明治25年7月7日、学年末試験終了直後、夏期休業を利用して松山に帰省する正岡子規と共に東京を出発し、神戸からは、単身、岡山に向かいました。7月11日、水の手の逗留先、片岡家に旅装を解き、しばらく、市内見物などに明け暮れました。16日から、小勝の再婚先、上道郡金田村の医家、岸本昌平邸を三泊四日で尋ねました。岸本夫妻に祝意を伝えた際の様子が伝承されています。児島湾で舟遊びや鳩島上陸なども体験しました。
7月19日朝、片岡家に戻ると、学年末試験落第を機に退学を決意した子規からの手紙が届いていました。金之助は、子規に書簡を送って翻意を促し、「鳴くならば 満月になけ ほととぎす」を添えました。逗留最中、子規が学問を去って実社会に飛び出す重大な決断を下し、金之助に動揺と緊張が走りました。さらに7月23日夜半、追い討ちをかける旭川氾濫で大洪水に見舞われ、旧県庁のあった天神山に避難後、上之町の資産家、光藤家の離れの二階座敷に案内され、8日間を過ごしました。
片岡家も荒れ果て、8月4日付子規宛書簡は、洪水の話題で溢れかえりました。しかし、金之助によって記録されるべき岡山逗留中の洪水以外の記憶は、洪水と共に、その脳裡から押し流された感があります。本書は、金之助の岡山逗留の全容を出来るだけ詳細に正確に記述しました。見慣れた岡山の風景のあちこちに、当時の面影が残されています。本書を片手に岡山の夏目金之助(漱石)を追体験して頂ければ幸いです。著者