境界をまたぐツールとしての言葉 「英語ができない」子どもとしてカリフォルニアの小学校に転校したのは著者が小学5年の十月。なにが起こっているのかさっぱりわからない状態から、周りの人の助けもあって「英語ができる」子どもになっていった。英語が必須の社会で英語ができることは「そっち側」の人間になることだと、著者の歩みとともにわかる。なかには、中国からアメリカに学びに来て大学を卒業後起業家として成功した若者もいるが、彼のことを純朴な若者として知る友人は名前も英語で通りやすいよう改名したことを少し哀しいという。 非英語圏から来て「英語」をじゅうぶんに使いこなし、アメリカ社会になじみ、社会的な地位も獲得していく人々(著者を含む)。 アメリカに来てしばらく経つが、「英語」を使いこなせず、限られた仕事をつく人々。 著者はアジア人女性であり、その区分では優位にいるとはいえないが、大学に職を得たハワイで自分の所有するコンドミニアムのリフォームに来てくれる業者が元からハワイにいる人だと知り、自分が植民者であるように感じたりする。 こんな風に、ある言語を習得することが、その言語が最も影響力のある社会でパワーを持つ側に行く強力なツールであることを、著者の個人的体験を通して気づかされた。 なお、著者の最初のプランでは英語と日本語の分量半々で書きたかったが、出版編集者の提案もあり、この、各章に英文の文章を挿入する構成になったそうだ。著者は、英語の部分を読む読者は少ないと予想している。が、大学入試英語の長文読解を好むような読者なら、ここも飛ばさず読むだろう。 日本語と他の言語の間にある境界を考えさせる岩城けい、多和田葉子、水村美苗、片岡義男などの作家の作品をまた読みたくなった。 追記:著者が本書のことを語っているラジオ番組がポッドキャストで聴ける--ピーター•バラカン氏がホストを務めるThe Lifestyle Museunに吉原真里氏が出演した2024年3月22日の回
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