目次
考えてみましょう「集団的自衛権」
集団的自衛権の行使容認に反対します!
集団的自衛権は日本国憲法に違反しませんか?
集団的自衛権にはどんな法律が関係しますか?
集団的自衛権を世界はどうしているのでしょう?
集団的自衛権ができると自衛隊はどう変わるのでしょう?
集団的自衛権の行使容認となると中国や韓国とどうなるでしょう?
安保法制懇第2次報告書と安倍首相の「基本的方向性」は?
秘密保護法との関係は?
教育政策はどうなるのでしょう?
メディアの報道姿勢は?
原発推進と関係しますか?
武器輸出三原則がゆるめられましたが。
前書きなど
序 章 考えてみましょう「集団的自衛権」──飯島滋明
いままでの日本政府は、徹底した「平和主義」を採用している日本国憲法との関係で、海外での武力行使や戦争はできないとしてきました。ところが第2次安倍政権では、海外で武力行使や戦争ができる体制づくり、軍備の増強を目指す政策が着々と、しかも国民に気づかれないように進んでいます。こうした政治の動きを簡単に紹介しましょう。
第2次安倍政権で防衛費は11年ぶりに増加しました。その後、防衛費は2年連続で増加しています。2013年10月、日本の外務大臣、防衛大臣とアメリカの国務長官、国防長官との会談である2+2で「防衛費の増大」も約束したので、今後も防衛費が増大するかもしれません(庶民には増税、負担が次々にのしかかってきていますが)。13年12月6日、国民世論の大反対を押し切って、安倍自公政権は「秘密保護法」を成立させました。本文で紹介されますが、「秘密保護法」もアメリカと一緒に海外での武力行使を目指す安倍首相の政治の一環です。
13年12月17日、「国家安全保障戦略」と、新しい「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」が策定されました。「国家安全保障戦略」では、海外での武力行使を積極的に行う「積極的平和主義」が基本原理とされ、「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」では海外で武力行使ができる装備が整えられようとしています。
2014年の通常国会では、安倍首相は集団的自衛権に関する政府解釈を変更しようとして臨時国会では、「自衛隊法」「周辺事態法」「船舶検査法」などを改正して、やはり海外での武力行使を法律的に認めようとの動きをみせています。
14年4月「武器輸出三原則」に代わり「防衛装備移転三原則」が閣議決定され、武器輸出へ途が開かれました。海外での武力行使のために安倍首相が重視しているのが「教育」であり、「国家安全保障戦略」や「国家安全保障基本法案」にも「教育」が盛り込まれています。
自民党は最終的には「武力の行使」を禁止する日本国憲法の改正を目指していますが、簡単に憲法を改正できるようにするために、憲法の改正要件を定めた96条を改正しようとしています。また、憲法改正のためになされる国民投票で教師や公務員に反対させないため、公務員の「地位利用」に罰則をつけようともしています。安倍首相は国民世論では反対が多数となっている「原発」についても再稼働させようとしています。その背後には、「核の潜在的抑止力を維持するため、原発をやめるべきとは思いません」(石破茂氏)のように、「核の潜在的保有能力」を持ちつづけたいという自民党政治家の思惑があります。大幅な盗聴が可能になる「盗聴法」の改正、犯罪の計画を話し合っただけで犯罪とされてしまう共謀罪制定の動きも進んでいます(『東京新聞』2014年5月15日付)。
このように、安倍自公政権のもとでは海外での武力行使が可能になる政策、軍備の増強を目指す政策が足音を立てずに進んでいます。そして、ほんらいであれば、「権力の監視」「社会の木鐸」であるべきメディアがこうした問題を指摘し、市民に提起すべきですが、一部の良識的なメディアを除き、「権力の番犬」となっている大手メディアもあります。
ただ、海外での武力行使ができる国になっても本当に良いのでしょうか。国際社会の歴史を振り返ると、第1次世界大戦、第2次世界大戦という、言語に絶する戦争を経験した国際社会では、戦争や武力の行使が原則として違法とされました(国連憲章2条4項)。現在でも国連の人権理事会では、「平和への権利」を国際法典化しようという動きがあります。こうした国際社会の流れに逆行して、海外での武力行使、戦争のできる国になっても本当に良いのでしょうか。近隣諸国の民衆2000万人〜3000万人、日本国民310万人もの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争のような戦争を2度としないとの決意に基づく「日本国憲法」を空洞化、改正しようとする安倍政権のような政治を認めても本当に良いのでしょうか。
2014年5月15日、安保法制懇の報告書を受け取った安倍首相は記者会見で、「まさに紛争国から逃げようとしている、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、子どもかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と発言しました。子どもと一緒にいて、赤ん坊を抱いている母親の絵などを見せられて、こうしたことを言われると、「集団的自衛権は必要」と思ってしまうかもしれません。
ただ、「戦闘地域から日本に避難する日本人を乗せたアメリカ艦艇への攻撃」という事態が実際に起こるのでしょうか? 戦闘地域にいるアメリカ艦艇が日本人を避難させるために戦場を離れて日本にむかうことがありうるでしょうか? 実際に攻撃されたとしても、アメリカ艦艇は自力で撃退できないのでしょうか? 日本人が乗っている艦艇であれば、集団的自衛権の問題ではなく、「個別的自衛権」の問題でないでしょうか?
「国民主権の父」と言われたフランスの思想家であるJ・J・ルソーは『社会契約論』で、「国民は欺かれることがある」と述べています。集団的自衛権に関しても政府の非現実的・虚偽の説明やそうした説明を垂れ流すだけの一部のメディアに流された状態では、主権者である国民は誤った判断をしてしまう危険性があります。
では、集団的自衛権に関して、「抽象的・神学的な9条論議」でなく「具体的事例」とはなにか。
「集団的自衛権」の行使が認められるようになれば、自衛隊員(憲法が改正されれば「国防軍人」)が海外の戦争で人を殺してくるのです。あるいは、自衛隊員が殺され、夫や子ども、孫を戦争で失う家族が出ます。戦場に送りだされた夫や親を心配する家族が増えます。
そうした事態になっても良いのでしょうか? ベトナム戦争での韓国軍のように、集団的自衛権が認められれば、アメリカの戦争にアメリカ人の代わりに日本人が血を流す事態が生じるかもしれません。それで良いのでしょうか?
政治の善しあしは、主権者である私たちが政治にどのように関わるかで決まります。また、将来の世代、私たちの子どもや孫に良い日本を残すためにも、私たちはいまこそ適切に政治に向かい合うことが求められています。
本書を通じて、海外での武力行使、軍備増強を目指す安倍政権の問題を認識していただくことを願ってやみません。
そして最後になりますが、政治は主権者である私たちがどう関わるかで大きく左右されます。現在、集団的自衛権を認めようとする安倍政権に対し、全国各地で市民の反対運動が活発になりつつあります。そうした運動の代表的なものとして、「戦争をさせない1000人委員会」の活動を紹介します。市民のとりくみを知っていただくことを通じて、主権者としての政治の関わり方も考えてみてください。