北刻堂さんのコメント 2025/04/10
女性は誰かに嫁して子供を産み育てるものという固定観念が根強く残っていた明治維新直後の時代にあって、絵師になるという信念で、故郷を飛び出した人がいたということが驚きだ。山下りん、この人、突っ走ること突っ走ること。突っ走るままに留学したロシアでは受け入れ先の修道院で指導者と激しく対立。そりゃぁ入信はどちらかというと手段で目的は西洋画を学ぶつもりであったりんと、信仰を広めることを目的に聖像画師学ぶための技能実習生を受け入れたつもりの修道院とでは、かみ合わないよな。それに気づいたのが帰国後って、遅すぎるでしょ!! それでも、結局は聖像画師を目指すことになったのは、信仰に目覚めたからというよりも、ニコライ主教その人への殉教という感じであるなぁ。作品に名を刻むことのない、芸術家ではなく、技師としての人生となったわけであるが、う~む、本望だったのだろうか。