前書きなど
■富める子貢
[論語・読み下し] 子貢曰く、貧にして諂うことなく、富みて驕ることなくんば如何と。子曰く、可なり、未だ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなりと。子貢曰く、詩にいう、切するが如く、嵯するが如く、琢するが如く、磨するが如しとは、それ、これをこれいうかと。子曰く、賜や、始めて与に詩をいうべきのみ。これに往を告げて、来を知る者なりと。 ——学而篇
[物語] 子貢は、その日、大きく胸を張って、腹の底まで朝の大気を吸いこみながら、ゆったりと、大股に歩いていた。彼は、このごろ、いい役目にありついて、日ましに金回りのよくなっていく自分のことを考えて、身も心もおのずと伸びやかになるのであった。
(先生は、顔回の米櫃の空なのを、いつもほめられる。そして、天命をまたないで人為的に富を積むのを、あまり快く思っていられないらしい。しかし、腕のある人が、正しい道をふんで富を積むのが、なんで悪かろう。自分にいわせると、貧乏はそれ自体悪で、富裕は善だ。第一、金に屈託がないと、楽々と学問に専念することができる。それに、なによりいいことはだれの前に出ても、平生どおりの気持ちで応対ができることだ。貧乏でいたころは、どうもそうはいかなかったようだ)
彼は、数年前までの、苦しかった時代のことを思い出して、何度も首を横にふった。
(あのころは、貴人や長者の前に出ると、変にぎこちなく振る舞ったものだ。むろんそれは、自分の貧乏ったらしい姿を恥じたからではない。そんなことを恥じるほど弱い自分でもなかったようだ。その点では、子路にだって負けないだけの自信を、自分もたしかに持っていた。ただ、自分は、少しでも相手に媚びると思われたくなかったのだ。
貧乏はしかたがないとして、そのために物欲しそうな顔つきをしているように見られたら、それこそおしまいだし、かといって、礼を失するような傲慢なまねもできないので、つい物腰がぎこちなくならざるを得なかったのだ。今から考えると不思議なようだが、貧乏という事実がそうさせたのだからしかたがない。やはり貧乏はしたくないものだ)
(それにしても——)
と、彼は急に昂然と左右を見まわしながら、心の中でつぶやいた。(下略)