目次
二つの「妙本」
『雲笈七籤』巻四「上清源統經目註序」管窺
仙女と仙媛
陳朴内丹説資料覚書
占筮者郭[ハク]
岡倉天心と道教(覚書)
霊宝法の錬度科儀に見える生死論について
『老子化胡経』の説かれた場所
北魏の法難と太武帝について
宋代以降の道士による『老子』注について
博山炉と香
玉局觀をめぐる社会と信仰
台湾南部の奠安土府[ショウ]について
竹中通庵『古今養性録』と貝原益軒『頤生輯要』『養生訓』
吉益東洞『医方古言』の文献学的研究
『内経』の「三部所傷」および「傷蔵」について
『難経集註』について
『黄帝蝦蟇経』について
内経医学に於ける[タン]中と三焦
道教における水の身体論
アメリカン・ポップ・カルチャーにおけるもう一つのタオイズム
『仏祖統紀』の校正者について
江戸における法然上人への布教活動
『領解末代念仏授手印抄』をめぐる一考察
善導『観経疏』所説の「定散二善」について
唐代における金剛般若経の注釈書について
古刊『首楞厳義疏注経』私考
密教重興とその後
訳経に於ける「訳」と「狄[テイ]」
明清期における仏教神像の変容
唯識思想は観念論か?
ヒンドゥー教バーガヴァタ派における恥の一考察
アジャーミラ物語
チベット語訳『ビンビサーラ王迎仏経』について
儒家の"勝利"と法家の"勝利"
明太祖の儒・仏・道三教政策の基調
李鏡池と現代の『周易』研究
「万物一体の仁」再考
神秘の山水
敦煌写本「新集厳父教」について
『劉子』小考
呂不韋の評価と荻生徂徠のロマン主義について
ジョン・デューイの中国観をめぐって
王維の詩における音聲表現
子が描く母の肖像
石崇・王羲之・陶淵明の<詩序>の比較考察
「フィクション」と「ノンフィクション」の交差
コウルリッジと中国
チョーサーの説話と『今昔物語集』の中国説話
「アデンまで」「白い人」から『深い河』へ
モートゥパッリとクリシュナパトナムの刻文に見る中世南インドの海港での外国貿易
中華人民共和国『語文』に見る暗誦教育
唐・太宗皇帝の書風について
『将門記』の叙述と文飾
多文化社会のメンタルヘルス
明治期の「幻燈」に関する研究
シナ人三人コントラバスもって
Understanding Kuan-yin-Sutra観音経according to T'ien-t'ai doctrine