紹介
◇山梨の生活文化を探る
◇つながる人々/無尽、お仁義、親分子分、同族の祭り、親念仏と位牌分け、ムラと村境、お御幸さん
◇なりわいと技術/焼畑、富士山吉田口登山道、お蚕さん、甲斐絹、ぶどうと葡萄酒、紙と硯、甲州商人
◇身近のモノとくらし/草屋根の民家、半農半機、カルサンとモンペ、粉食文化、ホウトウ、博物館と民俗
◇人生のおりめ/子授けと安産、民俗の教育、成人儀礼、盗まれる嫁、厄年と年祝い、山梨県葬式事情
◇まちどおしい日/正月ウドン、小正月の神木、獅子舞、太々神楽、おかぶと、七夕人形、安倍川餅
◇人の心とまつり/季節と民俗、道祖神、岩船地蔵、六斎念仏、富士講、山宮と里宮、昔話
◇過去・現在・未来/郡内と国中、疫病退散のお札、山村調査、恩賜林、観光開発、世界遺産富士山
目次
凡例
序章 山梨の生活文化を探る
第一章 つながる人々
1 世間は無尽から ―競り無尽から飲み無尽まで―
2 つきあいの作法 ―お仁義のいろいろ―
3 たくさんのオヤたち ―親分と子分―
4 一族の結束 ―同族の祭りと助け合い―
5 親を弔う子どもたち ―親念仏と位牌分け―
6 ムラをまもる ―ムラと村境―
7 行列の威力 ―甲府盆地を横断する神輿―
第二章 なりわいと技術
8 山のくらし ―山の領域と焼畑―
9 信仰拠点から休泊所へ ―富士吉田口登山道の山小屋―
10 お蚕をそだてる ―女性のはたらき―
11 甲斐絹の話 ―郡内織の歴史と技術―
12 ぶどうと葡萄酒 ―その歴史と文化
13 全国シェアを誇る伝統工芸品 ―山梨の紙と硯―
14 活躍する甲州商人 ―市と行商―
第三章 身近なモノとくらし
15 屋根型から見たくらし ―消えゆく民家―
16 漬物上手の男たち ―半農半機のくらし―
17 カルサン・股引・モンペ ―ズボン式着物にみる乙女心―
18 ベタベタも、モチモチも ―豊かな粉食文化―
19 関東・甲信どこでもホウトウ ―養蚕地帯の食―
20 モノとくらしを展示する ―博物館と民俗―
第四章 人生のおりめ
21 神輿を担ぐ女性たち ―安産・子授けを願う切実な心―
22 子どもは地域で学び育つ ―民俗の中の教育―
23 大人になるって、大変だ! ―成人儀礼のさまざま―
24 盗まれる嫁の話 ―山梨の婚姻習俗―
25 人生を区切って元気に生きる ―厄年と年祝い―
26 変化する葬送の風景 ―山梨県葬式事情―
第五章 まちどおしい日
27 正月にウドン ―ほそーく、ながーく―
28 小正月の飾りもの ―そびえ立つ神木―
29 獅子となって舞い狂う ―小正月の芸能―
30 春の訪れと太々神楽 ―にぎわう神社―
31 端午の武者飾り ―消えたおかぶと―
32 七夕人形・オルスイさん ―軒端にゆれる―
33 お盆は安倍川餅 ―お盆の食文化―
第六章 人の心とまつり
34 自然とともに ―季節の移り変わりと民俗―
35 身近な道祖神 ―その信仰と形態―
36 船に乗ったお地蔵さん ―追跡! 岩船地蔵―
37 疫病退散から先祖供養まで ―さまざまな六斎念仏―
38 富士登拝の民俗 ―富士講の話―
39 山から里におりる神 ―山宮と里宮―
40 まア昔、あったそうだ ―願い・想いを伝える―
第七章 過去・現在・未来
41 人柄の地域論 ―郡内と国中、西郡と東郡―
42 護符、疫病退散令状、捨て子 ―文字資料と民俗―
43 大垣外型と上湯島型 ―親分子分を追う研究者たち―
44 変わりゆく民俗 ―昭和初期の山村調査と山梨―
45 自然災害の記憶と遺産 ―「恩賜林」の始まり―
46 人気の観光地への道のり ―持続可能な観光開発―
47 世界遺産としての富士山 ―その調査から登録まで―
参考文献
編集後記
索引
前書きなど
編集後記
本書は山梨県史民俗部会に関わった者が主となって執筆した。『山梨県史』民俗編の刊行(二〇〇二年)から、二十年以上の歳月が経つ。刊行後も年二回の研究会が続いた。十年くらい経った頃であろうか。成果を形にしたらどうだろうか。積極的な声があったとも記憶していないが、雰囲気が湧き上がっていたことは間違いない。
県史編さんは百年に一度の大事業である。県史『民俗編』に関していえば、総頁数一二〇〇余の分厚い書に仕上がった。内容もふくめて、「空前」にして「絶後」の書になっていると思う。「手に取って読んでほしい」と願うが、やはり専門書に属そう。かといって、読まれないのは寂しい。当初、県史『民俗編』の枠組みをそのまま生かし、幅広い年齢層の方々にも気軽に読んでもらえるよう、再編集しようと考えた。分厚い専門書と一般の読者との橋渡しをしたい。本書の出発点にあった動機である。
四十ほどのテーマを設けて割り振り、その後の研究会で検討を重ねた。その過程で明らかになったのは、「専門性」と「読みやすさ」の両立の難しさである。両立もまた「専門性」であった。入門書をつくろうとした私たちが、入門者であったわけである。
そこで当初の枠組を見直した。タイトルをはじめ、試みのいくつかは感じ取っていただけるであろ
う(これも楽観的か)。いずれにしても反省多き出版物であるが、県史『民俗編』と同様、学史上に
おいては唯一無二の書である。この自負だけは持ち続けたい。
県史『民俗編』の刊行まで、約十年の調査・執筆の期間がある。この間の思い出を拾い出せば切りがない。それらのなかで鮮明に残るのが、中途で物故せられた先生方の声と笑顔である。本書の刊行を見守ってくださった方々である。ここに紹介しておきたい。
初代民俗部会長の服部治則先生。親分子分研究の第一人者で、著書の『農村社会の研究』(一九八〇年)は広く知られる。雪深い峠道を長靴姿で調査地に入ったお話などは、脳裏に焼き付いている。
専門委員の宮本袈裟雄先生。私は学生時代、先生にお世話になった。私は先生から民俗調査の手ほどきを受けた。それから十年後、県史編さん事業での再会は、ほんとうに幸せな偶然であった。
専門調査員の髙山茂先生。山梨県のご出身で、専門は民俗芸能であった。県内を隈なく歩かれた。山峡に伝わる芸能が消え去ろうとする寸前の時期、精力的な調査を積み重ねられた。大変バイタリティーあふれる方であった。本書に載る二編は遺稿である。
本書はささやかな試みにすぎない。次代に継がれて新たな一書が編まれんことを希う。
なお、山梨県史の関係者ではないが、青柳陽一・鈴木利秋・信清由美子の三氏に助っ人としてご協力いただいた。アスパラ社の向山美和子さんもまた、本書の生みの「親」のお一人である。末筆ながら、心より御礼申し上げる。(影山正美)