紹介
大阪大学文学研究科アート・メディア論研究室が発行する本誌『Arts and Media』は、アートとメディアの原初の関係に改めて注目し、芸術をもう一度、情報伝達の手段として見てみたい、そんな熱望から生まれた雑誌である。あるいは逆に、現在、情報伝達のツールとして生まれ、活用されている様々な手段が、今まさにアートへと変貌しつつあるその瞬間を切り取ってみたい。
収録される論考は、映画や写真、絵画、建築、文学、マンガ、新聞・ラジオ、演劇、博物館学などなど、実に多彩だ。この「祝祭的な混沌」が生み出すジャンル不明性こそは、ただ本研究室にのみ醸成可能な知的テンションであると自負するものである。
遺伝子の多様性が生命の安全装置として機能するように、我々は文化の多様性を保つことこそが、現代社会に対するある種のセーフティネットになるものと心から信じている。 文だの理だのといった狭隘な専門跼蹐の殻を打ち破り、百学連環の知の饗宴をとくと愉しんでいただきたい。
編集長 桑木野幸司
目次
[巻頭言]
鈴木聖子|記憶の「声」を掬いとる紙のメディア
[巻頭特集]
音/映像──記録と表現
東 志保|クロディーヌ・ヌガレによる「聴覚の解放」:ダイレクト・シネマとフェミニズムの観点から
鈴木聖子|音楽芸能の記録における音と映像の関係──日本ビクターの音響映像メディアのアンソロジー(前編)
吉村汐七|観客参加型上映における「応援」のあり方:映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』を例に
佐藤 馨|二〇世紀前半における音楽の視覚化の軌跡:スクリャービンからフィッシンガーまで
[論文]
西元まり|フランコ・ドラゴーヌ演出作品にみるソーシャルサーカスの考察──現代サーカスにおける東西文化表象
市川 明|ブレヒト/ヴァイルの音楽劇『三文オペラ』
[研究ノート]
城 直子|王とクマリの儀礼空間──なぜ王権とクマリ崇拝は結びついたのか
山本結菜|人と環境と調和する彫刻──第二十九回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)について
[書評]
奥野晶子|今日の具体詩〜撰集の意義をめぐって──ナンシー・パーロフ『具体詩〜二一世紀撰集』
[活動報告]
城 直子|「I think.., because...」の壁(その2)──スタンダップコメディの葛藤と挑戦
[ハッシュタグ・プロフ]
圀府寺 司|「何をするねん!!」専攻──すこし言い残したことなど
永田 靖|中之島芸術センター始まる──経緯と展望
鈴木聖子|伝統音楽と現代音楽の共犯関係
古後奈緒子|電気バレエに見るメディア過程──『眠れる森の美女』と『くるみ割り人形』の間
桑木野幸司|ルネサンスはファスト教養のはしり?
前書きなど
「記憶の「声」を掬(すく)いとる紙のメディア」
人間の声を音声として記録再生する技術は、まず、一八五七年のエドゥアール゠レオン・スコット・ド・マルタンヴィルによる「フォノトグラフphonautographe」の発明に始まるが、これは記録する技術のみで、再生するための技術は考えられていなかった。次に、一八七七年四月のシャルル・クロによる「パレオフォンpaléophone」についての論文があるが、これは紙の上の発明のみであった。その同じ年、一八七七年一二月、トーマス・エジソンが「フォノグラフphonograph」の特許を申請し、年明けの二月に特許を取得したことで、音声の記録再生技術は実用化されたのである。
早くもその五ヵ月後の一八七八年七月、エジソンのシリンダー型の録音機が、日本で「蘇そ 言ごん機」―言語・言葉を蘇らせる機械という意味の蘇言機―と訳されて紹介されている。そしてその四ヵ月後には、東京大学の「お雇い外国人」教師ジェームズ・ユーイングが、エジンバラで製作したエジソン型のフォノグラフを日本に持ち込み、東京大学理学部で日本初の「声」の録音再生実験を行なった。それから約一五〇年が経つ現在に至るまで、地球上でどれだけのシリンダーとアナログ・レコードが生産されてきたかは分からない。しかしこのメディアが、多くの人々の希みや喜びや幸せや欲望や苦しみや悲しみや怨みの「声」を掬い取ってきたことは事実である。(鈴木聖子)