目次
逃れようのないものへの違和感や怒り
不在を、どこまで〈見る〉ことができるか
そこにいたであろう人を、みんな肯定したい
不時着と撤退戦/いつもどうしても含まれてしまうこと
ニーナたち、マリヤンたちの《コイシイワ》
書くことでたどり着く、想像の外へ
いつも間に合っていないし、いつも間に合っている
失敗の歴史、破壊される瞬間と、眠ってしまう身体
四隻の船と、青森から航路をひらく
特別な時間のおわりと、記憶をたどる旅のはじまり
前書きなど
〈「はじめに」より抜粋〉
まもなく日本は、太平洋戦争を体験した、当時を知る世代がいない時代を迎えます。
とはいえ、1950年代後半から(敗戦からわずか10年で)戦争体験の風化は始まっていたといいます。長い長い〈忘却としての戦後〉の中で、体験していない戦争を語ろうとするとき、わたしはアウシュヴィッツで起きたことを自分のことばで語る中谷剛さんを思い出します。
中谷さんのように、直接かかわりがない戦争について怖れずに知り、学び、伝える力を磨きたいという想いに駆られます。
当事者にしかわからない体験や記憶を語り継ごうとするとき、どのような方法があるでしょうか。過去の出来事を〈未来に起こりうる〉こととして想像することも、ひとつの方法です。
知らないことを知ろうとするとき、〈歴史する〉実践方法やそれを伝える表現の仕方もさまざまです。
この本では、写真を撮る、絵を描く、小説や漫画を書く、映像、音楽、演劇、工芸、彫刻、アプリを作るなど多彩な表現で歴史実践をしている表現者たちが、どのように思考をめぐらせ、ことばを選び、戦争をえがこうとしているのかを知りたいと思いました。
国家と国家の戦争の狭間で生きた〈ひとり〉の声を聴き、その声の中に潜む引き裂かれた思いや矛盾を〈ひとり〉の表情、息遣い、生き方、死に方を通して丁寧にえがく表現者の語りに耳を傾けると、〈戦後〉や〈平和〉といった多用しがちなことばによって、見えなくなってしまう無数の〈ひとり〉がいることを思い知ります。
マーシャル諸島の人びともそうです。日本でいう〈戦後〉わずか1年後の1946年から、マーシャルでは米国による核実験が行われました。その実験は、世界の〈平和〉のためという美名のもと、67回も行われました。放射能で汚染されたふるさとの島に帰ることができず、いまなお被ばくの後遺症に苦しみ、心身に深い傷を負ったたくさんの〈ひとり〉の声に耳をすますことで見えてくる〈戦争〉を考えることは、わたしたちが教科書やニュースで知っている〈戦争〉と、なにが違うのでしょうか。
戦争に限った話ではありませんが、とりわけ戦争は、語る側の都合の良い記憶が、歴史となって語り継がれていく力学が働きやすいものです。この本では、そうした語りやすい歴史としての戦争からこぼれ落ちた片隅の歴史、あるいは歴史として認識されることなく、忘れ去られていった戦争について語ろうとしている人に話を聞きました。それは、記憶がいかに曖昧で、揺れ動いていて、たよりないかを知ることでもありました。
その時代に当事者が経験した表現しがたい体験を、ことばにできないトラウマを、体験していない人が語るのはとても難しいことです。
まじめな人ほど、自分には語る資格がないと避けてしまいがちなことかもしれません。
知らないから、わからないから、語らない/語れないのではなく、わからないから、知ろうとして、わかろうとして、伝えようとする。そんな表現者たちの声に耳をすませることは、知っていると思いこんでいた〈戦争〉からもっとも遠い場所にひっそりと眠る〈ひとり〉や、叶わぬ願いを抱えながら今もどこかで暮らしている〈ひとり〉に、想いを馳せることでもありました。