目次
肺がんの診断方法/待ちぼうけ/家族会議/手術不能/看護師の妹/素晴らしい心遣い/無駄にするにはもったいないもの/だから言っただろう/下の妹とハリウッド/可能性の話をしないで/灰色と黒の関係/父さん/抗がん剤っ腹/いつも通りの異常/クリプトナイト/希望 vs. 希望/闘いの後/数学の国の母さん/報い/P. E./何もない海の上で/パズル/コンドミニアムでの一夜/結局は誰の人生なのか?/頭の中の宇宙/何度もの英雄的な回復/過去の過ちから学ぶ/秋冬/5%の解決策/妻がミニバンをとりに行っている間に/どんでん返し(終わり)/エピローグ
前書きなど
あなたはひとりなんかじゃない。
私が『母のがん』を描いた理由は,私の家族ががんと闘っていたときにこんな本がほしかったからでした。私は『母のがん』を,密かなジャーナリズムのようなものとして2004年のはじめにインターネットで連載しはじめました。思いがけず私の家族が巻き込まれた闘いの前線から送る特報として。自分と,そしてマンガのキャラクターにしてほしいとは一言も言っていない家族のプライバシーを守り,このストーリーがどこの誰の物語にでもなりうるようにするために,匿名で連載していました。結果,口コミによって読者数は増えていきました。必要としていた人々に届いたのです。
『母のがん』は,私の家族と母が経験した,母の転移性肺がんとの闘いの経験についてのみを描いたものだと思っていましたが,その物語を自分自身のことと重ねていた読者の数には驚かされました。医療関係者や教育者たちから,『母のがん』が患者の視点を理解するのに役立ったという手紙や,カリキュラムに使う許可がほしいという手紙を受け取ったことも,とても嬉しく思いました。それは,本の出版を通してより多くの読者に届ける機会を得たときと同じように,思いがけない名誉でした。
『母のがん』を手がけはじめたときは,ストーリーがどう終わるのかわかりませんでした。ただ,よいレポーターとして,できるだけ中立的に語ろうと徹底していました。『母のがん』は実践的な医学書ではありませんし,検査や治療法は人それぞれです。しかし,感情や実際の病気による影響には,共通する部分があるでしょう。私の家族も,1人ひとりがこの本に出てくる状況をまったく違うふうに記憶していますし,私の記憶の描写もけっして見栄えのするものではありません。それでも父母や妹たちそれぞれが,快く,時に熱狂的に『母のがん』をサポートしてくれることが一番大切なことでした。そしてそれは,この本が与えてくれたもう1つの思いがけない名誉でした。
『母のがん』は,悪い出来事もよい出来事に変えていこうという,正直で真剣な努力の賜物です。普段私は教訓を垂れようとする物語は信じないのですが,これだけは言わせてください:あなた以上にあなたの人生を気にかける人はいない。あなたの人生の行き先を記録するのにあなた以上の適任者はいない。あなた自身が,あなたの人生のエキスパートなのだから。