目次
第1章 音楽との出会い、指揮者になる決意
音楽との出会い/小澤征爾ショック—「指揮者になりたいんです!」/音楽大学へ/指揮科の学生として│東敦子との《ラ・ボエーム》/世界を知る ドナウ川のほとりの決意/2年目のウィーン/初めてのイタリアシエナでテミルカーノフに学ぶ/日本での活動オペラ団体に指揮者として関わる
第2章 ヨーロッパで「本物」と出会う
スウェーデンからドイツへ/マエストロ・メルクルのもとで/ミュンヘン時代/マゼール国際指揮者コンクール/指揮者は音楽そのもので語れ/イタリアが呼んでいる!
コラム1 法に息づく、オペラという文化
第3章 イタリア、ローマでの日々
ローマ拠点に修業は続く/音楽と文化(1)アメリカでの体験/音楽と文化(2)イタリアならでは/ローマの母、朋子さんとの出会い/エルナーニ総監督のもとで/オペラ、この不滅の文化/ズービン・メータ、フジコ・ヘミング/バルトーク国際オペラ指揮者コンクール誓いを果たす
第4章 イタリアオペラに賭ける
スカラの妖精/スペイン舞踊のハリケーン/カイロの《アイーダ》/カラカラ浴場の《道化師》/挑戦者として/大使館のサムライ/マントヴァ歌劇場音楽監督就任/プッチーニ・フェスティバル/生きた音楽/音楽が人と街を動かす/ソリストたち/ヴェルディ《リゴレット》の日々/カイロのチャイコフスキー/午前10時にシチリアへ/オペラを読み解く
コラム2 歌劇場オーケストラとフィルハーモニー
コラム3 イタリアにおける地政学的キャスティング
第5章日本とイタリアを架ける
清水寺公演/世界的フルート奏者ジョルジョ・ザニョーニとの出会い/音楽の聖地ボローニャ/ボローニャ歌劇場フィルのコンサートマスターと/伝統芸能とオペラの対話/美しい音色で!/イタリア語の生きた感覚/二条城の《蝶々夫人》/歌劇場本体の首席客演指揮者に/ジャパン・オペラ・フェスティヴァル/日本のオーケストラとサウジアラビアへ/コロナ禍のイタリア/音楽の求められるところへ
コラム4 オペラ歌手の声、その多彩な世界①
コラム5 オペラ歌手の声、その多彩な世界②
第6章戦時下のウクライナ魂の音楽よ、日本に届け
オデーサ歌劇場オーケストラとの出会い/杉原千畝の選択/侵攻後のオデーサへ/オデーサの《ラ・ボエーム》/「傷ついたウクライナへ音楽を」/日本公演への道のり/戦火の地へ、再び/ついに日本へ/旅の続き
前書きなど
音楽大学指揮科の学生時代、プッチーニ《ラ・ボエーム》を初めて指揮しました。
舞台と客席が一つに溶け合い、目に見えぬ熱と輝きが空間を満たしていく――そ
の瞬間、私の心はオペラという果てしない世界に捕らわれました。
やがて歩みはイタリアへ。国費留学生として研鑽を積む日々にミラノ・スカラ座で
耳にしたオーケストラの響きは、私の音楽観を根底から揺さぶりました。
古代遺跡ローマ・カラカラ浴場の星空の下、日本人として初めてタクトを振った夜。
プッチーニ・フェスティバルのリハーサルで、オーケストラを前に自らの殻を破っ
た瞬間。
マントヴァで音楽監督を託され、「オペラで街を語る」という使命を担った年月。
卓越した芸術性を誇るボローニャ歌劇場フィルハーモニーの芸術監督として、精鋭
たちと共に音楽を届けた8年。ボローニャ歌劇場首席客演指揮者としても、幾多の舞
台を作ってきました。
そして2023年、戦火に揺れるウクライナ・オデーサ。
空襲に幾度もリハーサルを遮られながらも指揮した《ラ・ボエーム》は、満員の観
客に迎えられました。その中には休暇中の兵士たちの姿もありました。
終演後、一人の兵士が私の前に立ち、静かに言いました。
「明日、戦地へ戻ります。最後に、美しい音楽を聴けたことが、何よりの幸せでした」
――音楽は、国境を越え、時を超え、人と人とを結び、命のただ中に光を灯す。
この揺るぎない信念こそが、私を今日も指揮台へと立たせるのです。