目次
序論 政治経済(学)批判の原則(プリンキピア)
Interlude 1 インドラを!
Ⅰ〈時間‐空間〉
第1章 期待‐規範の維持装置――資本の公理2
第2章 〈交通〉する帝国‐多数性
第3章 ブリダンの驢馬と血気
第4章 「非有機的身体」の捕獲
Interlude 2 捕獲
Ⅱ〈捕獲‐恐慌〉
第5章 吃音‐資本と労働の恐慌
第6章 包摂から捕獲へ
第7章 捕獲する資本――墓碑文体‐簡潔態
第8章 経済原則――「経済表」とその危険な起源
Interlude 3 シネマ的価値形態論
Ⅲ〈ヤサグレの主体〉
第9章 自称する
第10章 プロレタリアート雑感
第11章 〈空費〉の存在論
第12章 無比‐無理の声を聴解する
第13章 「負債」――あまりにニーチェ的なマルクス
第14章 隠し彫りの刺青――「瑕疵」の存在論
第15章 Senza Casa の街頭
風景の遷ろい――謝辞のためのセンチメンタルな「まえがき」
前書きなど
僕たちの政治経済(学)批判はどのような世界の実現を求めるためにあるのか。しかも、少なくとも若年層── また高齢者や女性労働者──に関して言えば、例の「無理」を押してまで真っ当に 商品化される必要がもはやなくなったかにさえみえる労働力の存在態様が労働力人口の無視しえない部分を占めてしまった、この時代で。ジジェクが、労働力の過剰と資本の過剰 が同時に存在していれば、後者こそ廃絶されるべき当のものだと喝破した、この現状で。ましてや、金融経済(表層)が計量的には実体経済(深部)なるものをほぼ覆い尽くし、両者の区分がもはや無意味と化したかにさえみえる、この現代で。
――「序論 政治経済(学)批判の原則」より