目次
[一]西村朗とバブルとオウム
[二]守護聖人バーンスタイン
[三]譚盾と中華幻想
[四]アムラン・超絶技巧・学歴社会
[五]武満徹の嘘
[六]ルトスワフスキのドラマツルギー
[七]アンドリーセンと礼楽思想
[ 八 ]ニーノ・ロータにはまだ名盤がない
[ 九 ]幻の作曲私塾
[一〇]ソ連への挽歌
[一一]川島素晴と歴史の終焉
[一二]バッハの罪?
[一三]細川俊夫の昏い青春
[一四]作曲家? 編曲家? 冨田勲
[一五]ブーレーズの“スピード”
[一六]小林研一郎といつまでも変わらない日本
[一七]武満の水、細川の水
[一八]高橋悠治と藤井貞和
[一九]柴田南雄のマーラー的な夢
[二〇]佐藤聰明の沈黙
[二一]キラールとコピペ魔
[二二]ノーノと革命
[二三]團伊玖磨と中国
[二四]石田秀実と気
[二五]ルルー・伊福部・ショパン
[二六]三善晃の“断絶”
[二七]小澤征爾と「満洲」
[二八]朝比奈隆の「無国籍」
[二九]橋本國彦の懺悔
[三〇]ベリオのデタント
[三一]レイボヴィッツと悪魔
[三二]人肉食と「ミシ」マ
[三三]山下和仁の「感情過多様式」
[三四]武満徹とキャバレー・ソング
[三五]「ミャス六」の謎
[三六]武満徹の無重力
[三七]クセナキス・確率論・戦争
[三八]核の時代のオルフェウス四五
[三九]ブランキスト、ライヒ?
[四〇]ヴァントと大聖堂
[四一]completeという難関
[四二]「国民詩曲」と社会主義リアリズム
[四三]シェーンベルクと編曲の夢
[四四]日本のハムレット
[四五]ヘラーが丸く収めます
[四六]チェンバロを持って来い!
[四七]齋藤秀雄の不幸
[四八]林光の含羞
[四九]鉄道の落魄
[五〇]幻の京都楽派を求めて
あとがき
索引