目次
プロローグ 覚悟してください
◎第一部 ケアレポート
札幌を離れるまで/地理を全く覚えられない/“アルツハイマー中期症状”と診断される/手探りのケア/私、どこも悪くないのに/病気の進行はケア次第/二度目の海外旅行/“貯金”をなくさないことが肝心/秋の日はつるべ落とし/終の住処
◎第二部 チュー太の介護日記——和子と私
[1996年] 2月21日◆おそらく“幼児がえり”の一種/3月21日◆若年性アルツハイマーの典型的症状/6月21日◆夕方症候群/8月4日◆今がいちばん辛い時期/10月27日◆“鬱”と食欲不振の悪循環/12月8日◆裸足で雪道を歩く(事故報告)
[1997年] 2月22日◆夜ほとんど眠らず、乱暴になる/3月8日◆今は第3期の終わりごろ/6月9日◆字を書くことは全くできなくなった/10月1日◆温泉付きデイサービスに週四回通う/11月8日◆私、キュリー夫人のようにやりたかった
[1998年] 3月22日◆知らない曲を一度で覚える/6月20日◆おだやかな笑顔が戻る/11月10日◆食事から排泄までほぼ全介助状態に
[1999年] 2月20日◆和子の歌は“神様の贈り物”/5月3日◆抱きしめて、心の嵐が過ぎ去るのを待つ/7月24日◆特別養護老人ホームへ/8月15日◆私たちの“戦争と平和”——太平洋戦争終結の日/9月12日◆何とか彼女を車に乗せて/10月4日◆ソリストの才能
[2000年] 1月6日◆和子のヘアダイ事件1999/1月18日◆もう私を夫とはわからない?/2月24日◆あらためて「要介護5」の重さをかみしめる/5月3日◆もう歌わなくなったけれど、明るさが戻る/5月24日◆車椅子だが歩く練習も開始/6月17日◆表情豊かな笑顔に可能性を求めて/7月24日◆少し歩けるようになる/8月15日◆“戦争の世紀”の最後の8月に/9月9日◆「四肢・体幹筋はgood」/10月21日◆吾が妻はひとり何を想うや/11月18日◆言葉が少し戻り、再び歌えるようになる
[2001年] 1月21日◆モーツァルトを聴きながら/2月26日◆「歌う和子」/3月31日◆「歩く要介護5」/5月3日◆バリアへの抵抗が脳の活性化を促す?/6月15日◆もう越えられないバリアもある/6月23日◆和子の「生きる意志」/7月24日◆自力排泄ができ、普通食の「要介護5」/7月27日◆「回復という事があるのか」/8月15日◆四年ぶりに和子と音楽会へ/8月24日◆実り多き夏の終わりに/10月1日◆豊穣の秋を迎えて、自分の足で歩きだす/10月21日◆若年性痴呆の平均余命を満たしても和子は元気/11月21日◆希望を持って生きていこう
◎第三部 チュー太もの申す——介護日記に書けなかった“言いたいこと”
◆日本の状況はお寒い限り◆本人には聞こえている◆これは“人間の国”か◆「呆け」という言 葉◆“バリアフリー”あるいは“ユニバーサル”について◆『午後の遺言状』について日◆福 祉現場で飛び交う“ぞんざい言葉”◆“嫌音権”と“人権教育”について◆障害者の「肖像権」
エピローグ アルツハイマー病と「告知」
著者略歴/主人公略歴