目次
(第1章 我が漁師)駆け出し漁師/いも作り/親分子分/中古船購入/新組合と陸もの/漁民告訴される/巻網船主を告発/組合員の団結/組合の監事に/青年部の結成/欠格で入院/手術そして退院/常勤監事の仕事
(第2章 新米組合長)/奥田組合長死去/相場専務、組合長となる/別途会計問題/「不正あり」とのビラがまかれた/東京大学大野先生/月給貯金/越年資金は年中行事/事務に問題あり/経営診断を受ける
(第3章 栽培漁業への模索)シマアジ蓄養/個人で始める/三原氏/魚の民主主義/籠城二カ月/組合員の努力/東水大の増田先生/漁港づくりの安田さん/「あなた方は建前論が多い」/アワビの巣づくり/エゾアワビ稚貝の放流/アワビ種苗の生産/アワビ種苗生産の失敗/アワビ中間育成池増
(第4章 組合事業の多角化)職員の気持ち・組合長の気持ち/プロパンガスを扱う/一つの事件/FRP造船所/造船所閉鎖/海中公園センターの発足/展望塔建設で海中汚濁/補償額を海へ/海中公園の売店経営/加工事業/加工場を閉鎖/「ぎょさい」活動/志村養殖場の完成
(第5章 資源管理型漁業私論)なぜアワビが減るのか/半信半疑だったが・・・/コンクリート魚礁の成績は?/ヒトデにやられた/サザエの移植/苦い経験/石灰藻退治/牟岐東へ/餌料不足が起きて/餌の少ないときは漁獲を増やせ
(第6章 漁協運動雑感)つり堀/棒秤り/組合員の横車/公平が不合理なのか/職員の服務規律/子供に!/密漁者告発/組合員資格審査委員会/役員と職印/組合員教育に思う/津田塾の学生たち/遊漁の位置づけ/漁業不振から遊漁に/販売事業に想う/組合視察に対する考え/北海道東部、某組合を訪ねる/老人問題を考える/お世話になった方がた/組合長辞任/追記・黄綬褒賞をいただく
(第7章 漁場自主管理−対談と報告−)/対談 漁済連副会長(当時)中里久夫氏−漁場管理を基本に福祉社会の建設をめざして−/対談 愛媛県遊子漁協組合長 古谷和夫氏−みんなで資源を分けあおう−利潤追求の漁業から資源と共存の漁業へ−/報告 「鵜原漁協の漁場自主管理・アワビの栽培と漁場管理」−第三回全国漁協活動実践交流集会における報告
前書きなど
本書は、漁協経営センター発行の『月刊漁協経営(現「漁業と漁協」)』に、昭和60年2月から平成元年8月まで、途中、一時中断があったが、前後34回にわたって連載したものが元になっている。
本文中にも触れたが、書くことはまったく苦手な私に、「とにかく何か書け」と半強制的に書かせられたものである。いま、校正刷りを読み返して、自分ながら若さに任せて好きなようにやったものだ、という思いと、そのように自由に働かせてくれた奥田前々組合長、相場前組合長の大きい心、そして陰に陽に支えてくれた役員・職員の協力に、あらためて心からお礼申し上げたい。
県当局や上部団体である県漁連に関しては、本文中にいささか過激な言葉も呈したが、失礼の段はお詫び申し上げるとともに、行政も系統上部団体も、やはり漁民・漁協と一体となって漁村の発展を図らなければならないと、今後一層のご指導ご支援をお願いする次第である。
組合長辞任後、各地の漁協を訪ねる機会があり、その見聞も本書に書き加えたが、正直言って崩壊寸前のような漁村も見受けられ、そのようなところの漁協は小規模のため十分機能していないようにも見受けられた。もちろん私の住む鵜原も例外ではなく、環境変化に応じてあらたな変換を余儀なくされている。水産物流通に対応するため、漁協合併はもとより、協同会社の設立も必要ではないか、と考えている昨今である。
編集部が、いみじくも『漁協組合長奮戦記』というタイトルをつけて下さったが、奮戦が必要なのはまさにこれからであり、単に組合長のみならず役員・職員一体となって努力が必要であるように思う。
【あとがき】より