目次
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まえがき―「弱さの情報公開」の源流 3
一部 弱さの情報公開
一章 弱さの情報公開 9
二章 弱さを認める 37
三章 行き当たりバッチリ 63
二部 つながる
四章 わたしが「ダメ。ゼッタイ。」ではダメだと思う理由 85
質疑応答 127
五章 「認知症と繋がる」ということ 151
六章 あいだは「愛だ」 167
七章 地域と人と苦労で繋がって 199
著者紹介 237
前書きなど
まえがき―「弱さの情報公開」の源流 向谷地生良
私が最初に「弱さの可能性」に目覚めるきっかけになったのは、中学一年生の時に遭遇した出来事であった。当時の私は、何かにつけて担任から生徒指導室に呼び出されて、注意され、〝指導 〟を受ける生徒だった。ある時、教室の掃除が終わり担任の点検が終わる前に、購買部にパンを買いに走ったことを叱責され、生徒の前で殴られた。一緒に買いにいったN君は一発、私は二発であった。後日、N君が学級会の場で、それを担任に問いただすという場面があった。先生の回答は「向谷地は、生意気だから」だった。
極めつけは、学級会が終わった後、私のクラス委員長としての進行のまずさを担任から指摘されたことだった。後ろの席だった私は、担任から前に来るように言われ、みんなに謝ろうと黒板を背に生徒の方を向いた瞬間、襟首をつかまれ、顔面を数発殴られ―私の身体感覚では十数発―、〝みぞおち〟にパンチをくらい、前かがみになった私の首筋に、両手でつくった握りこぶしがハンマーのように打ち下ろされた。一瞬、私は何事が起きたのかわからず、ひとり呆然と立ち尽くしていた。
それまでの自由だった子供の世界と決別し、丸坊主にされ、学生服を着せられ、学年ごとに色を統制されたリュックを背負いながら通う中学校は、今にして思えば「入隊」であった。子供は将来の「安定した生活」と「国の発展に貢献する人材」というパイの争奪戦に駆り立てる「受験戦争」に放り込まれ、大人は「企業戦士」として、さらにその先を戦っていた。きっと、その現状への見えざる抵抗が、教師のいらだちを招いたのかもしれない。そして、私はその町を去り転校をした。
そんな私が、中学二年生のときに母親と一緒に十和田市内にある教会に通うようになり聖書と出会う。私にとって、聖書とは「弱さの書」との出会いであった。人の織り成すさまざまな「弱さの諸相」と私たちが生きるこの世界の不条理と〝にもかかわらず約束された希望〟が記されていた。「ヨブ記」では、善良な民であったヨブに襲い掛かる苦難の中で「なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。腹から出たとき息が絶えなかったのか」と神に問い、パウロの「私には、自分のしていることが分かりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。…私は、ほんとうにみじめな人間です」(ローマ人への手紙)という言葉が、こころに刺さった。
その中で、パウロは、「神の力は弱いところに完全にあらわれる」ことを見出し「むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」という境地にたどり着いた。そこで私が学んだのは「弱さの可能性」である。
「弱さの情報公開」とは、けっして周囲に同情や関心を買うために行われるのではない。まさしく「希望の情報公開」なのである。この本では、縁があったさまざまな領域の方々が「弱さの情報公開」をキーワードにして、語り合い、発信した言葉が綴られている。このことを通じて、多くの皆さんが「弱さの可能性」に関心を寄せ、「弱さ」を中心に、誰もが「生きる苦労の主人公―自分の当事者」となって、共に学び、考え、つながりあう場づくりに用いていただければ幸いである。