目次
序文
自己への問い
哲学の完結性について
「物」と「私」
主観概念と人間の問題
価値のアプリオリ性
カント哲学における無限と有限
デカルトとライプニッツにおける合理主義
ヘーゲルの屋台骨にヴィトゲンシュタインの扉をつける
近世スコラ哲学における形而上学
形而上学と超越
デカルト『省察』における狂気と病気
全形而上学の根柢としての道徳の立場
ホッブズと若き日のライプニッツ
ライプニッツと形而下学の可能性
山本信先生のカントとライプニッツ
持続と両義性
『純粋理性批判』の自由論への緒論
ヘーゲルの判断論
もう一つの私的言語
アーレント『精神の生活』と「形而上学の可能性」
時間と無
性愛の形而上学の可能性
穏やかに主張すること
スピノザについての対話
「倫理」の授業についての非倫理的随想
「大学」と「学生」
自己紹介
館砲の思い出
お父上様への手紙
山本信君の思い出
思索における出会い
山本さんにまたお會ひしたい
山本先生の思い出
山本先生の思い出
山本信先生を偲ぶ
天文館と指宿と開聞岳
回想・山本信先生
哲学を教へるといふこと
いつも上機嫌な先生
授業の思い出
「哲学」と討論
金曜3限「大学院哲学演習」
一冊のノート
脱哲学的哲学
「アポリア論」から「エニグマ論」へ
山本信「夢とうつつ」を読むに至るまで
Convivium lammamotonis 1988−92
山信合奏団
山本信先生を想う
山本先生、思い出すまま
学長としての山本信先生