目次
県立福岡病院から福岡医科大学へ
福岡医科大学開学/病院内のインフラ/卒業式/明治期の運動会/漕艇大会(レガッタ大会)/医科大から九州帝国大学へ/増大していく患者/福博電車開通
福岡医科大学創設時の教授陣
絵葉書ブームの時代
インテリ層と絵葉書/櫻井教授コレクションから/エックス線ブームと絵葉書/明治の看護婦さんはあこがれの職業/ハート模様の流行
九州帝国大学の時代
工学大学設立以降の大学の拡充/工学部本館の大火と再建/応用化学教室新築/演習林の設立/農学部の設置/法文学部の設置/昭和期の陸上運動会/温泉治療学研究所/九大山の家/
箱崎 土地の記憶
箱崎という土地/東公園/箱崎に残る戦勝の記憶/蔬菜の産地・箱崎/箱崎海岸の抱洋閣/漁村としての箱崎浜/箱崎浜の埋立/名島水上飛行場と火力発電所/愛国号献納/昭和初期のレジャーブーム/観光地としての東公園周辺/学徒出陣
旧制高等学校と絵葉書
旧制高等学校の文化/第一高等学校/第五高等学校/第六高等学校/第七高等学校/大正期に設立された高等学校
前書きなど
明治から大正と近代化が進展していく中で、地方において先進的で近代化の象徴であった帝国大学は、大学人にとってだけでなく、地域の人々にとってもあこがれと誇りをもって迎えられたのであろう。
九州帝国大学は、明治36年、京都医科大学福岡医科大学として福岡の地に開校した。これは当時、文部省が単科大学を認めていなかったため、明治44年の工科大学設立までは、京都医科大学の分校と位置づけられていたからだ。
明治36年というと、まさに日露戦争前夜。帝国大学の開校は、日本にとっても、福岡の地にとっても近代へ一歩踏み進めていく時代に行われた大事業だった。
絵葉書は時代の雰囲気を切りとる資料である。当時の人々がその映像で何を伝えたかったのか、その画像に何を求めていたのかをお伝えできれば幸いである。
(「本書「はじめに」より」)