紹介
秘められた〈音楽の知〉を可視化する!
作曲家の視点から〈聖典〉にメスを入れ、
バッハの意図と創作過程を明らかにする。
現代日本を代表する作曲家のひとりである著者が、ドイツ・バロック音楽の総決算にして、バッハのキャリア前半の「白書」ともいえる《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》全24曲を、各曲ごとの解説と書き込み入り楽譜(2色刷)で読み解く。
現代の作曲家の視点によるピアノ演奏実践への手引きとして活用できるだけでなく、当時の作曲における慣例や伝統を知り、創作過程をたどることのできる刺激的なバッハ論ともなっている。
対位法・フーガ・調的連関によってネットワーク化され、重層構造をなす作品の様相から、バッハの革新性にせまり、そこに秘められた〈音楽の知〉を可視化する!
目次
序論 《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》を読み解く前に
《平均律クラヴィーア曲集》の位置づけ
各曲のあり方と関連性
前奏曲とフーガに関する若干の知識
本書について
楽曲分析
前奏曲とフーガI ハ長調 BWV846
前奏曲とフーガII ハ短調 BWV847
前奏曲とフーガIII 嬰ハ長調 BWV848
前奏曲とフーガIV 嬰ハ短調 BWV849
前奏曲とフーガV ニ長調 BWV850
前奏曲とフーガVI ニ短調 BWV851
前奏曲とフーガVII 変ホ長調 BWV852
前奏曲とフーガVIII 変ホ/嬰ニ短調 BWV853
前奏曲とフーガIX ホ長調 BWV854
前奏曲とフーガX ホ短調 BWV855
前奏曲とフーガXI ヘ長調 BWV856
前奏曲とフーガXII へ短調 BWV857
前奏曲とフーガXIII 嬰ヘ長調 BWV858
前奏曲とフーガXIV 嬰へ短調 BWV859
前奏曲とフーガXV ト長調 BWV860
前奏曲とフーガXVI ト短調 BWV861
前奏曲とフーガXVII 変イ長調 BWV862
前奏曲とフーガXVIII 嬰ト短調 BWV863
前奏曲とフーガXIX イ長調 BWV864
前奏曲とフーガXX イ短調 BWV865
前奏曲とフーガXXI 変ロ長調 BWV866
前奏曲とフーガXXII 変ロ短調 BWV867
前奏曲とフーガXXIII ロ長調 BWV868
前奏曲とフーガXXIV ロ短調 BWV869
分析楽譜
前奏曲とフーガI ハ長調 BWV846
前奏曲とフーガII ハ短調 BWV847
前奏曲とフーガIII 嬰ハ長調 BWV848
前奏曲とフーガIV 嬰ハ短調 BWV849
前奏曲とフーガV ニ長調 BWV850
前奏曲とフーガVI ニ短調 BWV851
前奏曲とフーガVII 変ホ長調 BWV852
前奏曲とフーガVIII 変ホ/嬰ニ短調 BWV853
前奏曲とフーガIX ホ長調 BWV854
前奏曲とフーガX ホ短調 BWV855
前奏曲とフーガXI ヘ長調 BWV856
前奏曲とフーガXII へ短調 BWV857
前奏曲とフーガXIII 嬰ヘ長調 BWV858
前奏曲とフーガXIV 嬰へ短調 BWV859
前奏曲とフーガXV ト長調 BWV860
前奏曲とフーガXVI ト短調 BWV861
前奏曲とフーガXVII 変イ長調 BWV862
前奏曲とフーガXVIII 嬰ト短調 BWV863
前奏曲とフーガXIX イ長調 BWV864
前奏曲とフーガXX イ短調 BWV865
前奏曲とフーガXXI 変ロ長調 BWV866
前奏曲とフーガXXII 変ロ短調 BWV867
前奏曲とフーガXXIII ロ長調 BWV868
前奏曲とフーガXXIV ロ短調 BWV869
あとがき
前書きなど
あとがき
かつて拙著『作曲の思想──音楽・知のメモリア』(アルテスパブリッシング,2010)の「あとがき」で,同書の「書かれざる終章」のことを書いた。最初の3つの章をバッハの創作についての章「セバスティアン・コード①-③」からはじめ,再度バッハで閉じるのが同書の構想であったものの,結局「終章」は実現しなかった,という内容である。
同書でいう「コード」とは,数値化された「暗号」,あるいは「暗号」によって起動する(あるいは象徴化される)「構造」が,バッハの作品といかに関連し合っているかを説明したものである。そして「数値化」とは,対位法において,すべての音程が模倣や転回対位法の技術に置換され,またそれらが楽節構造や楽曲構造を,また(楽曲相互の)チクルスとしての全体性をも生み出す意味で「構造」であるかということである。
同書の「あとがき」では引き続き,「この数年,著者は大学や文化講座などで,バッハの《平均律クラヴィーア曲集》全2巻の作曲技法や様式を講義してきた。たんなる分析でなく,《平均律》全曲をつうじて,作曲という技術が,同時にいかにして知の継承としての技術であるのかという,本書(作曲の思想)の内容とも共通した問題が,次作のテーマになろう」とも書いた。そして,それが結実したのが本書である。
本書は,演奏家(学習者)や音楽学者の分析の手引きになること,あるいは作曲の専門的知識の習得を第一に目指している。
演奏技術と作曲技術を同等に学ぶというバッハの同時代の習慣が,すでに20世紀半ばには失われてしまった今,作品に虚心に向き合えば音楽はおのずから理解できるというようなことは考えにくい。また同時代(バロック)の演奏法(演奏習慣)へのアプローチは,さまざまなかたちで現在もおこなわれているが,今日的な演奏法(演奏ファッション)のひとつにすぎないといえるだろう。
分析法では,19世紀以降の創作や音楽理論の影響が大きいとしても,後期バロックの通奏低音法に支援された対位法書法(フーガ),同様に(前奏曲に特徴的な)通奏低音実施にもとづく,器楽的音形による調性の確定にかかわる和声進行(カデンツやゼクエンツ)の移調や転調,さらにこれらの区分から即興的に形式化される作曲法の理解が前提となる。今日「対位法」という用語が前提とする,ルネサンス以降の「パレストリーナ様式」(古典対位法),さらにバッハの和声的な視点を踏まえた「フーガ書法」,さらには作曲専門教育に特化したケルビーニらの「学習対位法」「学習フーガ」(ルイージ・ケルビーニ著/拙訳『ケルビーニ 対位法とフーガ講座』,アルテスパブリッシング,2013参照)といった領域の十分な知識と実践がないかぎり,分析も趣味的な(あるいは恣意的な)範囲にとどまる可能性が高い。
くわえて『作曲の思想』各章でさまざまな音楽作品を通じて論じたように,音楽史においては,伝承される「モデル(規範)」を中核として,それ以前と以降の歴史性が「現実化=現前化」する意味での創作のあり方を重視した。ここでは,単なる音楽的クリシェでなく,人工的な知的構造体とでもいう「作品」の概念(形成)といかにかかわるかという「分析」が求められる。なお「モデル性」については,拙著『作曲の技法──バッハからヴェーベルンまで』(音楽之友社,2008)でも論述の中心に置いているので,参照されたい。
人間の知的営為の反映としてのあり方,また知の機能的作動のシミュレーション(擬態)を作品から摘出することが,すくなくともバッハの音楽理解には求められるのである。
「序論」で概説したように,本書では作品を完結したものとしてでなく,「最終稿」と想定されるものへの進行過程(ワーク・イン・プログレス)としてみることで,作品自体の「構造性」を重視している。「構造」は各部分のあり方や関連性をいうものではあるが,それらを永久に固定するものではない。むしろ可動的な機能として,それらを捉え理解するためのものである。
創作過程を重視するうえで参照した,今日のバッハ関連資料の存在・評価・理解は,万全なものとはいいきれない。しかしながら演奏行為から作品を理解することと,慣習的解釈から距離をおき楽譜自体から読み取れることを重視する態度こそ,「バッハをいかに読むか」に通じる方法であることに疑いはない。
本書を前に,各曲を演奏したり読み直したりすることで,読者それぞれの「平均律」を発見していただきたい。
『作曲の思想』同様にアルテスパブリッシングの木村元氏の秀逸な企画と,さらに熟達の編集者の黒田篤志氏との共同作業で,まずは本書の刊行が実現したことを感謝したい。また,複雑で煩雑な校正をしてくださった,東京藝術大学音楽学部作曲科の前助手,現助手の見崎清水,妹背佑香のおふたりにも感謝したい。
2023年12月
小鍛冶邦隆