目次
山内清男と森本六爾
縄紋遺跡出土土器の数量把握の試み
縄文時代におけるマメ科植物の拡散に関する覚書
幻の梅沢貝塚と釜野貝塚
縄文時代中期後葉におけるジョッキ形土器
北海道の「盛土遺構」と「もの塚」
縄文時代後期の果実酒容器について
久ヶ原遺跡における方形周溝墓群の様相
縄文時代土坑墓の多数石鏃の背景についての試論
横穴墓と首長墓
古墳時代の鳳凰
横穴墓の終焉と地域墓制の変容
栃木県那須郡・馬頭横穴墓群の構造と変遷
相模における後期古墳の墳丘施設について
家屋模倣横穴墓の原点
小金井市前原横穴墓の築造とその背景
横穴式石室と横穴墓の再利用
横穴墓の副葬品毀損に関する一考察
北島遺跡出土内行花文鏡の位置づけとその意義
終末期古墳の立地から見た築造理念
古墳時代前期の同時埋納鏡の鉛同位体比較
中和田横穴墓群被葬者の様相
発掘成果から見た千葉県袖ケ浦市中六遺跡の性格
海浜型古墳を考える
備後・三谿郡の成立過程についての一試論
福島県須賀川市高木遺跡出土土器の容量と使用痕
上神主・茂原官衙遺跡出土人名文字瓦の一側面
古代の「社」を再考する
郡家正倉の基礎地業
古代陸奥国南部の拠点地域と建郡
武蔵国府関連遺跡における南武蔵型坏の導入と展開
萬葉集「長門の島」歌群を現地景から考える
日本古代の氷池について. 続々
雑部密教における鏡について
「伯耆大山の考古学」序説
歴史時代の竪穴建物内検出土坑についての一考察
上野国分尼寺跡とその周辺
胆沢城跡外郭南門地区の調査成果と整備
越後における古代の羽釜形土器
軍団兵士の「自備」について
奈良県中之庄町経ケ塚経塚出土の六十六部納経請取状
江の川流域の福光石系石塔の様相
嘉禄三年在銘板碑を検討す
山梨県の中世石仏
信濃における中世城郭の虎口構造について
中世相模における尾張産瓦の受容 (予察)
とちぎの茶入
鎌倉時代の女性の供養
伊豆安山岩製石塔の西限をさぐる
出雲大社境内遺跡出土の一字一石経
中世高瀬津について
群馬県前橋市「小島田供養碑」の考古学的検討
武蔵型板碑における規模の変遷について
考古学・人類学模型標本の原型制作者とその系譜
銚子市常灯寺本堂の地鎮遺構調査
近世・近代石碑の研究
上州礫石経納経遺跡の様相
焼酎文化圏の考古学
近世扇子の用途と系譜
石塀の一様相
川越市びん沼川採集の戦争遺物
汽車土瓶初現期の一様相
からわけからみた近世初頭の村落の酒宴
牢屋敷の考古学
近世江戸遺跡出土のオオカミ遺体
近代・関東における溶結凝灰岩 (白河石・芦野石) の利用について
国内出土の外国製耐火煉瓦の実態
下総型廟墓について
十七世紀のケープタウン入植地
グスタフ・コッシナの学術的転換の契機
靺鞨・渤海の住居構造と地域性
中国・古蜀文化における玉璋考