目次
はじめに
1 大嘗祭の悠紀・主基斎田地を訪ねて
(1)民主主義社会になった平成大嘗祭
① 激動の昭和を受けて
② 悠紀斎田地五城目町(秋田県)
③ 主基斎田地玖珠町(大分県)
(2)大国になった昭和大嘗祭
① 華やかな大正を受けて
② 悠紀斎田地野洲町(滋賀県)
③ 主基斎田地福岡市脇山(福岡県)
(3)活気的な大正大嘗祭
① 躍進した明治を受けて
② 悠紀斎田地岡崎市六ツ美(愛知県)
③ 主基斎田地綾川町(香川県)
(4)新生日本の明治大嘗祭
① 新生日本の成り立ち
② 悠紀斎田地甲府市石田(山梨県)
③ 主基斎田地安房鴨川(千葉県)
(5)年代不詳の備中主基斎田跡(岡山県)
①吉備中央町へ
②歴代の斎田地と回数
③十八回もの備中主基斎田とゆりわ田
2 大嘗祭の起こりと神社信仰
(1)新嘗祭から大嘗祭へ
①弥生時代からの新嘗祭
②大嘗祭の起こりと時代背景
③大嘗祭と伊勢神宮
④権威と権力の二重構造
(2)日本統合の戦略的大嘗祭
①食料(米)支配の儀式
②日の出と日没地からの供納米
③神社信仰と氏子の務め
参考文献
前書きなど
世界諸国のいかなる理屈や理論よりも、日本で千三百年以上も継続されてきた大嘗祭は、日本国としての民族統合の永遠の戦略でもある。それが人類史的に正しいかどうかの問題ではなく、これまで具体的に継続されてきたことであり、その結果が、世界で最も安定した、平和で豊かな国であるとも言える、今日の日本のあり様である。
戦後の荒廃から立ち上がってきた民主主義国日本の、アイデンティティーでもある天皇制を、維持、継続するに必要であった大嘗祭が、平成天皇に続いて、新天皇によって、二〇一九年十一月十四、十五日に行なわれる。
その大嘗祭が、いつ、どのように起こったのか、そして、何故今日まで継続してきたのか、その儀式に欠かせない新米は何処で、どのように作られていたのかなどを知ることは、敗戦国となったが、アメリカの支配から文化的に立ち上がり、独立した民主主義国である日本が、これからいかように国際化しても、安定、継続する上にとっては、大変重要なことだと思われる。
世界的に大変珍しい稲作文化の一種である大嘗祭と、天皇制をいただく日本の安定、継続との関わりにとって、最も重要な役割を果たしてきた稲、新米が、東西二か所の斎田で栽培されてきた事実を、明治、大正、昭和、平成における四代の斎田地を訪れて立証し、その後のあり様を確認することは、日本の社会史上に必要なことだと思われる。
世界の中で最も歴史が長く、象徴天皇が在位する日本国が、これからも安定、継続する上にとって、これまでの大嘗祭に新米を供納してきた日本人、日本国民の在り方、心意気を少しでも感じでもらえれば、なんらかの参考になるのではないだろうか。