目次
プロローグ 戦国の情報ネットワーク分析の歴史的意味
第1章 下からの変革と経済発展の時代
下からの変革による水平型ネットワークの形成
農業と鉱工業の発展
情報産業の相対的遅れ
商業の発展と地方都市人口の急増
新たな職業の形成
補足リサーチ1 知識ネットワーク発信拠点=学校と図書館の歴史
第2章 戦国の社会システムと領国経営
社会の基本構造
能力主義の社会
総力戦としての領国経営
戦国大名の家法
イノベーターとしての戦国大名
補足リサーチ2 下剋上のデータ分析
第3章 戦国の軍事情報ネットワーク 書状による情報伝達
現代から戦国を見る落とし穴
軍事情報ネットワークを支えるツール――書状、使者、飛脚
偽情報を意図して流す謀略大名
謀略の原典『孫子の兵法』
書状の多様な役割
戦国大名たちの書状
戦国大名の書状――リテラシーによる比較
補足リサーチ3 犬を使った軍事情報伝達
第4章 戦国の軍事情報ネットワークⅡ 忍者が担う情報収集・情報攪乱・謀略戦
情報収集・情報攪乱者=忍者の活躍
忍者を駆使した戦国大名
忍者とは何か――忍者の本質
伊賀・甲賀の社会システム
忍者の全国分布と活動の歴史的展開
補足リサーチ4 陸軍中野学校の教育科目に忍術が採用されていた
第5章 真田忍者とイノベーター真田幸村
真田人気がもたらす史実との乖離
修験道・山伏・歩き巫女
真田忍者――二つの顔
真田昌幸による戦術のイノベーション
幸村の書状
幸村による戦術のイノベーション
補足リサーチ5 真田忍者の活躍を古文書で読む
第6章 戦国の情報ネットワーク&意思決定システム
システムの概要説明
信玄と信長のシステム比較
戦国大名の性格の影響
カリスマ型支配による意思決定とアクションの指令
戦国大名によるカリスマ型支配――その歴史的位置
現状分析⇨意思決定の重要性
情報処理能力の低下がもたらす組織の滅亡
補足リサーチ6 戦国時代における「もしも」について
第7章 民衆がつくる情報ネットワーク
複数の社会、複数の情報ネットワーク
戦国の村の特性
悲惨な戦場
文字社会か無文字社会か
音声と口伝えの情報ネットワーク
戦国の民衆がつくる意思決定システムと民衆像
資本主義の精神の形成
補足リサーチ7 戦国の城を現地調査する
第8章 戦国の情報ネットワーク 特性・全体像・世界史的位置・文化との関係
基礎単位――民衆の情報ネットワークシステムの特性
戦国大名の情報ネットワークシステムの特性
情報ネットワークシステム間の情報伝達の特性
異なる意思決定システムの並存
情報交換の広場としての市場の成立
戦国の市場の歴史的評価
全体の情報ネットワークシステム構成図
明と戦国の日本――社会システムと情報ネットワークシステムの比較
社会システム・情報ネットワークと文化の関係
補足リサーチ8 システム理論による情報ネットワークシステムの説明
補足リサーチ9 戦国文化の基層を探
第9章 もうひとつの選択肢の可能性 分権型社会はありえたのか
上からの変革による天下統一戦略の先進性
本能寺の変の根本原因
信長の軍事組織・軍事情報ネットワークの構造的欠陥
豊臣・徳川政権による社会システム・情報ネットワークの統合再編
もうひとつの選択肢の可能性
信玄勝利後の仮説
分権化の選択肢を阻止した信長の天下統一戦略
自律分散型情報ネットワークシステムの展開と世代間ギャップ
世代間ギャップによる世代間コミュニケーションネットワークの切断
世代間ネットワークの切断をどうすれば修復できるのか
補足リサーチ10 複数国家説と東アジア経済圏の可能性
補足リサーチ11 戦国の忍者たちの悲惨な末路
終章 戦国の情報ネットワークの歴史的位置
情報化の歴史的段階をどう設定すべきか
戦国の情報ネットワークの歴史的位置
文字社会と無文字社会の並存のあり方
戦国の社会・情報ネットワークの先進性
戦国の社会システム・情報ネットワークの終焉
参考文献
あとがき
前書きなど
プロローグ 戦国の情報ネットワーク分析の歴史的意味
一六世紀の戦国時代を情報ネットワークという視点から捉えると、どのような社会像が浮かびあがってくるのだろうか。こうしたテーマ設定は筆者の知るかぎり、これまで試みられていない。したがって、本書は初めての「戦国の情報ネットワーク社会論」であると言える。
そもそも情報ネットワークをわかりやすく表現するならば、人と人のつながりであり、多数の人や組織の相互依存関係と言うことができる。このように情報ネットワークを捉えると、古代社会においても、そのパイプが細く情報伝達に長時間を要したとはいえ、情報ネットワーク社会と定義できる。
それゆえ、人類の長い歴史は、さまざまな情報ネットワーク社会が勃興し、繁栄を極め、後に衰退するというサイクルを繰り返してきた歴史としても捉えられる。情報ネットワーク社会とは、この概念が形成されてきた二〇世紀後半以降にその適用を限定することなく、人類史すべてに適用できる概念であり、本質的に歴史貫通的性格を有しているのである。筆者は、こうした「情報ネットワーク史観」とも言うべき新たな歴史の見方を、未来のあるべき姿を展望するためにも構築しておく必要があると考えている。
この史観に沿って、過去から現在までの社会の特性を分析するうえで、ネットワーク上での情報の伝達スピードと伝達容量の大きさは、もちろん重要な指標となる。だが、それはあくまで一つの指標にすぎない。筆者自身の反省をこめて言えば、「限りなく進歩するITとネットワークのテクノロジーが一方的に社会を変えていく」というテクノロジー信仰に傾斜しすぎたオプティミスティックな発展史観は、根本的に見直す時期にさしかかってきていると思えてならない。
むしろ、情報収集や伝達の方法、収集された情報に基づく現状分析や意思決定の方式、情報ネットワークシステムの組み方・編成方法こそが、それぞれの社会の基本的な特性を規定しているという分析の基礎視角の確立が、何よりも必要とされているのではないか。さらに言えば、その基礎視角を踏まえた過去の情報ネットワーク社会分析の積み重ね――不断の過去の歴史との対話が、あるべき未来の創造につながっていくのではないだろうか。
そうした期待をこめて日本の歴史を捉え返してみると、以下の三点から、戦国時代の情報ネットワーク社会は突出して知的刺激に満ちている。
まず、戦国時代が無文字社会から文字社会への過渡期として位置付けられ、民衆の知的パワーがあふれんばかりに躍動していたからである。この知的パワーは、彼らの識字率を向上させるとともに、自律した顔の見える個人として初めて歴史の表舞台への登場につながっていく。近代的市民の原型とも言いうる農民や商人や職人が生成されつつあったと解釈できるだろう。
次に、知的水準の高い民衆が水平型のネットワークにより団結し、共和制型の社会システムを成立させたからである。民衆が創る共和制型の社会システムは、各地に割拠する戦国大名の領国と並存することで、中心なき分権社会の一角を占めていた。たとえば、第9章で詳細に検討するが、「信長が共和制型の社会や他の戦国大名に勝利できずに、強権的な天下統一に失敗した」という仮説を立てるならば、「中心なき分権社会が長期に継続し、異なる歴史的展開から近代化に至る道がありえた」という論点が浮き彫りにされてくる。
さらに、分権社会を構成する政体の異なる複数の社会が、それぞれ独自の個性豊かな情報ネットワークシステムを構築しているからである。戦国の社会は、この多様な情報ネットワークシステムをサブシステムに、ゆるやかなネットワークで結合することで成立していた。この分散型システムは前後の時代にない特性を有している。
以上の三点から、戦国時代はそれ以前の社会よりも多様性を持ち、次章から詳細に述べるように、さまざまな意味で躍動的で知的刺激に満ちていると言える。それゆえ、そのダイナミズムと知的刺激の根源を深く多面的に分析することは、一六世紀が対象であるにもかかわらず、二一世紀の日本社会の閉塞状況を打開し、未来を切り拓くヒントにつながるかもしれない。
筆者は、戦国時代を専門とする歴史家ではない。とはいえ、情報ネットワークという分析視角から戦国の社会を捉えると、まったく新しい社会像の描写につながる可能性を秘めているように思えてならない。以下ではこの予感に基づく期待を胸に、読者とともに一六世紀にタイムスリップし、新たな視点からの知的冒険にチャレンジしていきたい。とくに、戦国の情報ネットワーク社会がどのようであったかを複眼的に捉えることで、より深く考察していくために、第一に鳥瞰図的に全体を見渡す目線、第二に戦国大名の目線、第三に農民や商人や職人といった民衆の目線、第四に情報収集や伝達を担った忍者の目線から描くことにした。
なお、旧国名と戦国時代の戦いについては、[ ]内で現在の都府県名と市町村名を入れている。