目次
大窯再興に映る、森陶岳氏の偉業
人間国宝美術館館長 東京国立博物館名誉館員 矢部良明
森陶岳は何を引き寄せたのか
備前市立備前焼ミュージアム館長 臼井洋輔
作品紹介(49作品)
見えないものが見え始めた時、時代は変わる
備前市立備前焼ミュージアム館長 臼井洋輔
あとがき
森 陶岳
森陶岳・陶歴
作品目録
「大窯計画」の土について
前書きなど
森陶岳は何を引き寄せたのか
臼井洋輔
日本の文化は桃山時代に大きな華を咲かせたことは御存じの通りである。
備前焼は、力強さと大らかさ、優しさ、潔さ、繊細さとしたたかさを持った焼物である。
桃山時代の備前焼にはその全てが込められていて、その美しさはその後も数百年間、今日まで、全ての時代の人を魅了し続けてきた。そのためもあって、備前焼作家で桃山を意識しない人は一人もいない。そして不思議にもこれまで桃山を超えた人もいない。
それを超えるためには、数百年も途絶えていた大窯を築くしかないと森陶岳は考え続けてきた。そして昭和47(1972)年、大窯構想と築窯を開始した。
それから、実に43年をかけ、次々と築窯と実験を繰り返してきた。平成27(2015)年正月4日、遂に人類陶芸史上最大の寒風新大窯の火入れが行われた。焼成3ケ月、冷却3ケ月、そして10月3日の最終窯出完了まで、全体で10ケ月を要した。
ここで備前焼の歴史の中で起こったエポックメーキングなことの2つについてを紹介しておこう。一つは、室町初期に備前焼が六古窯の中での劣勢を挽回するためには、実に常識を覆す発想があったということである。六古窯の中で備前の粘土だけが耐火度1200℃しかなかった。他の窯場は耐火度1250℃もあり、硬さにおいて絶対的に優位に立って、日本の市場を中世初頭から室町初期までずっと押さえていた。
ところが備前は低温でも、長期間焼くことで硬さも、性能でも他を凌駕してしまうのである。当然今度は備前だけで全国の焼物の85%を占めたのである。これが岡山の文化力の底力でもある。
今回森陶岳はそれに匹敵する快挙を成し遂げたのである。数百年前の最大の大窯は約53mであった。しかし森陶岳の作った寒風新大窯は人類陶芸史上最大の85mである。しかも大きさだけではなく、備前土での最適変成帯域温度を探り当て、これを「揺り籠」としてこの温度を長時間キープし、焼物組成の活性的変化を実現した。あたかも宝石が結晶して生まれ変わるように、色美しく精神的豊かさを秘めた焼物を作る秘密の扉を開いたことである。
数々の作品が何故これまで、見たことのないような多彩な色を生み出したかを、とくと見て欲しい。大壺や一石甕でさえ、この色彩である。
またまた岡山人の手で世界陶芸史上に大きな足跡を残したことになる。
桃山人も見たことのない巨大窯はやはり、巨大窯でしか出来ない巨大なものや多彩な窯変を生んでいる。