目次
Ⅰ 歴史の行間
民生委員制度の先覚者
岡山県知事笠井信一と岡山・三和生まれ藤井静一
井原、津山に残る幕末の貴重な名刺とゆかりの人々
キリシタン大名小西行長と岡山と堺と
岡山市出身、悲運の海軍中将坂野常善をもっと知ろう
倉敷・真備ゆかりの求道の教育者
塩尻公明と学徒出陣死刑囚の遺書
Ⅱ 岡山うちそと
平清盛の父忠盛と瀬戸内市・虫明の曙
西行法師が「備前小島」で詠んだ歌
石油発動機王国岡山と先駆者馬場常二
平清盛が岡山に放逐した公卿2人藤原成親と藤原基房
「土用丑の日のうなぎ」と「破魔矢」は平賀源内の発案?
アマースト大に留学した
同志社創立者新島襄と玉島、高梁のつながり
Ⅲ 老驥 櫪に伏するも…
日露戦争の英雄乃木希典大将長男の手紙がまたも見つかり、
万富駅私用下車の有力証拠に
社会運動家山川均の困窮期を支援した11代林源十郎
明治の異才大鳥圭介と閑谷学校の教育
山田方谷の藩政改革10万両蓄財の根拠は?
山田方谷の藩政改革は米沢藩主上杉鷹山を上回るか
Ⅳ 忘れがたい国々
ハーバード大学ライシャワー日本研究所と岡山の強い絆
米・マウント・ホリヨーク大学で上代淑を想う
あとがきに代えて―山田方谷の大河ドラマ署名運動
前書きなど
幕末の慶応3(1867)年から翌年にかけて民衆が「ええじゃないか」と叫んで踊りまくる不可解な現象が名古屋から全国に広がり、あっという間に消え去ったことがある。倒幕派の陰謀説もあったが、幕末の先行き不安の中、世直しを訴える民衆運動説が有力で実害はなかった。
岡山ではほんの20数年前「ええじゃないか」「ええじゃないか」と官民一体となって推し進めた倉敷チボリ公園の結末はどうだったか。100万人署名運動で盛り上がる方谷ブームも終わって見れば、うたかたのように消えかねない。再び「ええじゃないか」岡山版にならないよう、今こそ歴史の教訓に学ぶ冷徹な眼と見識を持って署名運動と顕彰活動を展開してもらいたいものだ。