目次
一. はじめに
[総 論]
二. 「石刻の農耕神碑」出現に至る過程
(一)カミとタマ
(二)地霊について
(三)中世村落のおける地霊と死霊
(四)中世から近世への展開
(五)再び地霊について
三. 近世幕藩体制と村落共同体の変質による「農耕神碑」の出現
(一)十七世紀から十九世紀への道程
(二)「イエ」・「ムラ」・「農民」はどのように変化したか
(三)土地と農民
(四)十八世紀から十九世紀にかけての文化的状況
(五)石刻の農耕神碑建立による精神運動の展開
(六)二十世紀初頭の農耕神殺し
四. 祖霊と地霊 そして人の住む処としての「里」
[フィールドワーク編]
一. 地神碑(農耕神碑)研究の金字塔
二. 全国的視野における農耕神碑建立拡大のプロセス
(一) 萌芽期 十八世紀享保年間
(二) 発現期 十八世紀中葉
(三) 出現期 十八世紀後半
(1)安永期
(2)天明期
(四) 展開期(寛政) 十八世紀後半
(1)相模国(ほぼ神奈川県全域)と山梨県甲斐市の事例
(2)千葉県佐倉市及びその周辺
(3)徳島県及び淡路島
(4)大分県速水郡日出町の五神名地神碑(農耕神碑)
(5)筑後地方の石像社日神
(6)岡山県における寛政期銘の農耕神碑
(7)愛媛県新居浜市の寛政期建立「社日宮」
(五)拡大期(文化・文政) 十九世紀初期
(1)島根県の五神名地神碑(農耕神碑)
(2)鳥取県における農耕神碑の建立
(3)丹後半島の農耕神碑
(4)香川県の農耕神碑
(5)愛媛県四国中央市土居町の「社日宮」碑
(6)徳島県及び淡路島の五神名地神碑(農耕神碑)
(7)佐賀県多久市の穀神碑
(8)佐賀県伊万里市大川町の五神名地神碑(農耕神碑)
(9)山梨県北杜市の五神名地神碑(農耕神碑)
(10)埼玉県本庄市の五神名地神碑
(11)千葉県佐倉市及びその周辺の農耕神碑
(12)神奈川県内及び東京都町田市内の農耕神碑
(13)岡山県における文化・文政期の展開
(六)高揚期(天保) 十九世紀中葉
(1)佐賀県
(2)島根県
(3)鳥取県
(4)岡山県
(5)愛媛県
(6)三重県
(7)山梨県
(8)神奈川県
(9)千葉県
(七)定着期 十九世紀後半
(1)佐賀県
(2)福岡県
(3)愛媛県
(4)島根県
(5)鳥取県
(6)高知県
(7)広島県
(8)埼玉県
(9)神奈川県
(八)終息期 十九世紀末〜二十世紀初頭
(1)福岡県
(2)島根県
(3)愛媛県
(4)高知県
(5)香川県小豆島
(6)和歌山県
(7)神奈川県
(8)群馬県
(9)埼玉県
(10)千葉県
(11)岡山県
三. 福岡県八女市の石造「倉稲魂尊」碑についての一考察
四. 本書を閉じる前に
五. おわりに