目次
1章 津田白印(明導)と孤児救済事業
—甘露育児院を中心に—
笠岡の文化と福祉の伝統
津田白印の生い立ち
甘露育児院の設立
孤児収容の状況と教育
院舎と院費の財源及び実業
東北飢饉の経営危機と閉鎖
後援会の結成
仏教の福祉思想について
白印の自然観と教育思想
むすび
2章 岡山県の民間社会事業
岡山の地と福祉の伝統
岡山の地は福祉に貢献する人びとを何故多く生み出したのか
恤救規則とわが国戦前社会福祉の特徴
済世顧問制度と済世会の事業
石井十次と孤児教育会
孤児院の運営
孤児院と大原孫三郎
他宗教の救済活動
ハンセン病への対応
地主の救済事業
戦後の岡山県の福祉と旭川荘
「福祉の心」を次世代に
3章 津田白印(明導)先生の孤児救済事業のあしあと
—顕彰シンポジウムの記録—
1、「津田白印のことば」
2、祝 辞
3、御礼のことば
4、シンポジウム開催の趣旨
【基調講演】
【パネルディスカッション】
4章 「津田白印物語」(山陽新聞社提供)
〈1〉 甘露育児院創設
〈2〉 育児院 二つの教育
〈3〉 やりくり
〈4〉 苦難
〈5〉 女子教育への転換
連載を終えて
年譜
前書きなど
発刊にあたって
淳和学園理事長 津田 謙二
2002(平成14)年2月15日、岡山龍谷高等学校(旧黎明高等学校)記念館にて入仏式が盛大に執り行なわれました。ご本尊は、甘露育児院があった本林寺のご本尊です。本校が龍谷総合学園に加盟するにあたり、浄土真宗本願寺派の宗門校として正式に再出発する記念すべき日に、本校の建学の精神のよりどころのご本尊が、浄心寺から本校に寄贈されることになりました。1900 (明治33)年に甘露育児院を開院して100年の年月を経て、現学園のご本尊としてお迎えすることができたことに対して、感謝の念にたえません。
さて、世界は今100年に1度の金融危機に陥り、日本では歴史的な政権交代が行われました。またデフレ経済になり、失業率も未だにによくなる気配はありません。少子高齢化はますます進み、私学経営は混迷の一途を歩んでいます。しかしながら、本校の前身である院は今から110年前の設立当初から24年間、経営で余剰が出たのは最初の3年間のみで、その後は赤字続きで、自転車操業を迫られていた時代を乗り切ってきました。今こそ、その精神を我々は見習うべきものであると思います。院の孤児数がゼロに近づき、浄心寺の一部を改装して淳和女学校を設立したステップは、関西福祉大学坂本忠次教授のご指摘のように「時代の変化を先取りし、福祉事業から育英事業にいち早く転換することで、児童救済の精神を持続的に発展させようとした」進取の精神を学園に従事する1人として、大切にしていかなければならないと決意を新たにしております。
なお刊行にあたっては、坂本忠次先生、22地域づくり塾、山陽新聞笠岡支社の方々を始め、関係者の方々の多大なご尽力を賜りました。ここに深く感謝申し上げます。
合 掌