紹介
本書は、カワウソ再発見から最後の生息確認に至る約50年の記録である。
すでに絶滅したと思われていたニホンカワウソ。日本にはもはやいなくなったというのが学会の定説であったが、四国西南部の海岸線や河川には戦後もなお生息していた。そう再確認されてより、愛媛県獣として、さらに国の特別天然記念物に指定され、絶滅させまいと懸命の保護活動に取り組まれた。しかし、それから58年を経て、平成24年(2012)8月、環境省よりニホンカワウソの絶滅が宣言された。
なぜ保護は成功しなかったのであろうか。水辺の生態系の頂点であった動物であり、河童のモデルでもあったカワウソは、どのような自然環境に支えられていたのだろうか、明らかにしていく。
目次
序章 ニホンカワウソとは
明治時代まで、国内に普通に生息
ニホンカワウソの再発見
獣は食べるもの、害をなせば駆除の時代
戦後の生息範囲
第1章 愛媛の保護史・海にも棲めず
なんと肱川中流で再発見
かつては肱川河口から上流まで生息
宇和海で第二号発見
無断捕獲・高知県怒る
初めて飼育成功
捕獲作戦失敗
四郎とマツの入園。特別保護区の設定
国の調査団来県・天然記念物指定へ
特別天然記念物への昇格とカワウソ村構想
保護増殖施設カワウソ村、成功せず
増えた?減った?
愛媛県、最後の一頭
愛媛最後の三生息地
カワウソ村の終焉
第2章 高知の保護史・川にも棲めず
保護事業は大成功と宣伝されたが
生息を確認、しかし姿は目視されず
第3章 カワウソ最後の地を歩く
愛媛県宇和島市九島
愛媛県城辺町大浜
高知県室戸岬・徳島県小松島市・高知県大月町赤泊
高知県土佐清水市下ノ加江川
高知県須崎市新荘川
高知県黒潮町佐賀伊与木川
生息密度が濃かったのは愛媛だったか?
第4章 どんな生き物だったのか
生息適地
体長・体重・寿命
活動時間帯とテリトリー
泳力と行動範囲
エサ
生活場所・えさ場、水場、ヌタ場、ネヤ
糞
子育て
習性・人に対する警戒と行動
日常の生活範囲
データから見るカワウソの減少
第5章 滅びの原因
狩猟されたカワウソ
生息地宇和海
護岸工事と道路建設
カワウソの大敵・建網
とどめはイワシ漁から養殖漁業への転換
日本最後の清流四万十川でもだめだった
第6章 河童も絶滅・カワウソと人の歴史
河童とされたカワウソ
とらえられたエンコ
恐ろしいエンコ
河童の駒引き
エンコ祭り
カワソ
相撲をいどむ河童
地の大島の龍王池とカワウソ伝承
オソ地蔵 忘れられるエンコ
終 章 かわうそ特区をつくろう
終わりに
参考文献
付表 カワウソ 死体・捕獲・痕跡認定・目撃等による確認個体事例(一九五四年以降)
前書きなど
宇和海に戸島という島がある。宇和島市に属し、平成26年現在、人口は約350人、ハマチ養殖が盛んな島である。イワシ漁と段畑の芋作で暮らしをたてていた時代は、ねずみの集団発生に手を焼いた。その対策に家々では猫を飼っていた。大正2年(1913)の『戸島村誌』では、島には、ねずみ、猫以外の獣類なしと記し、次のように付け加えた。
時に獺の海に浮かび、陸に走るを見るのみ
島にいる野生の獣は、ネズミと獺ぐらいのものだったのである。カワウソは、このあたりではウソ、オソと呼ばれ、戦後になっても変わらずに生息していた。カワウソは、川に生息するという常識があったから、これがニホンカワウソそのものであることが確認されたのは、昭和29年(1954)になってからであった。日本にはもはやいなくなったというのが学会の定説であったが、四国西南部の海岸線や河川に、まだ生き残っていたのである。ここは、リアス式海岸に黒潮が流れ込む宇和海と、日本最後の清流四万十川が名高い南国である。カワウソがごく普通に生息していた自然環境が戦後になってもまだあった。ニホンカワウソは、愛媛県獣、さらに国の特別天然記念物に指定され、絶滅はさせまいと保護活動に取り組まれた。