目次
序章 南の国とニッポン人
〝豊かな日本〟
インドネシアとニッポン人
「開発」を問う
第1章 土佐の村・ジャワの村
森の隠遁者
「満州」棄民
〝豊かな〟村
機械貧乏
村の前途は暗澹たるものです…
幻の隠遁者
西ジャワの区長さん
〝在郷〟の人びと
貧困線
めぐりめぐっておかしい
貧しき村の歩み
つながれる村と村
第2章 二つの刃物
〝焼き按配〟は口では伝わらぬ
やはり鍛冶屋
二つの刃物
西ジャワの鍛冶屋
チウィデイの鉈(なた)
小さな火、大きな火
技術と必要
植民地と知恵
三条金物発達の歩み
〈いい〉ことの裏側
第3章 ベチャと〝コルト〟
路上で死ぬ人、死なす人
人間の顔をした移動
人力車
輪タクヘのささやかな飛報
ベチャからベモヘ
トヨタ車を売った男
〝コルト〟 社会
周辺への皴寄せ
〝死んでらあ〟
乗り物再考
第4章 小さな民・大きな企業
裸足のジャムー売り
エス・リリンの歌――日本民衆の商業進出
ブッドの世界
カキ・リマに未来はあるか
テレビからコマーシャルが消える
日本商品の広告
多国籍商品人間
エリートのプライドと日系企業
夢の島と活火山
現場の技術者
幻の企業進出
あとがき
『小さな民からの発想』はどうやって生まれたのか――村井吉敬が考えたこと 宮内泰 介
前書きなど
〝豊かな日本〟
もう二〇年以上前、東京・青山のKというスーパーマーケットに行ったことがあった。そこには外国――当時の私にとってはアメリカ――の匂いがあった。そこには見慣れぬ缶詰の山があった。パックされた野菜は病院の無菌ボックスみたいに見えた。それよりまだ一〇年も前にマシュマロを食べてびっくりしたことがあった。進駐軍の持ってきた味はおいしいものだと思った。
あれから三〇年経った。日本には進駐軍の物珍しい味もスーパーマーケットKの驚きも消えた。消えたのではなく日常化したのだ。私たちは三〇年かけて、欲しいものを手にする時代をもぎとった。
たとえば、私の家の近くのスーパーマーケット。青山のKをはるかに上回るフロアの面積、昔、Kで見てびっくりした商品など何でもある。ある日の新聞の折込広告には「食卓に世界の味をおとどけします」とあった。
「澄んだ空のアメリカから牛のサーロインステーキ用一〇〇グラム四八〇円」
「畜産王国デンマークから、豚肩ロース一〇〇グラム一三八円」
「しゃもの故郷タイから若どり骨付もも一〇〇グラム七五円」
ハワイ産パパイヤ、アリゾナ産レモン、ニュージーランドのキウイ、フィリ
ビン産バナナとパイナップル……。本当に「世界の味」が町中のスーパーで手に入るのである。フィリピンのパイナップルは、実に一個二五〇円、バナナは一〇〇グラム一五円だという。三〇〇〇キロも離れた南の国の重い果物が一個、パートの時間給の半額で買える、このことは当たり前のことなのか。多国籍企業の青いラベルが、フィリピンの労働者の顔を覆い隠し「日本は豊かだ」という印象だけを私たちに与えている。闇市時代の辛酸を克服した、日本人の「勤勉さ」「組織の優秀性」ばかりが喧伝され、「豊かさ」にほとんど自己陶酔しているのが、いまの私たちではなかろうか。
自動車、オートバイが三五〇〇万台、舗装道路に並べれば一二メートルに一
台ずつ並ぶことになる。乗用車、鉄道、バス、船、飛行機が一年間に移動し
た総キロ数は七六一七億キロ、一人一年に六六二四キロを移動したことにな
る(一九七八年度)。国民すべてがフィリピンまで行って帰ってきた計算にな
る。
カラーテレビ九八・二%、電気洗濯機九九・四%、電気冷蔵庫九九・一%、
電気掃除機九五・八%、扇風機九五・四%、石油ストーブ九一・五%、ミシン八三・八%、カメラ八二・九%、ガス湯沸し器七六・一%、乗用車五七・――%、ステレオ五七・一%、ルームエアコン三九・二%……、一九八〇年の耐久消費財の世帯普及率である。
この「豊かさ」は、世界の石油生産の七・八%、鉄鉱石の二二・五%、亜
鉛の一二・二%、銅の一一・六%、ボーキサイトの七・一%、世界の飼料穀物
貿易量の一八%、大豆貿易量の一七%、小麦の七%…などを使うことで成り立っている。世界総人ロの四〇分の一にすぎない日本人が、である。七九年の原油輸入量は二億八二〇〇万キロリットル、国民一人当たり二・四キロリットル、一八リットルの石油缶にすれば一三三缶分になる。そんなに使っていないと思うかも知れないが、たとえば、ハウス栽培で作られるトマトは一個につき牛乳ビン一本、キュウリ一本だと半本、メロンは石油缶一缶分もの石油を消費して作られる、ということを考えれば、一三三缶の石油消費もうなずけるというものだ。
七月なのにスーパーで黄色いミカンが売られたり、真冬なのに何の抵抗も
なくスイカを食べたり、遠い南の国のエビや果物がいとも簡単に手に入る。
数年前、私はインドネシアで二年間ほど暮らしたことがある。インドネシアから帰ってきて以来、日本人の生活ぶり、日本と第三世界(開発途上国と言われる)との関わりに疑問を持つようになった。それは、日本の豊かさが何によって成し遂げられ、豊かさの中身とは何なのか、ということであり、他方、第三世界で、豊かさを求めて行なわれている「開発」のやり方に対する疑問である。その疑問と、それに対する解答を得たいと考えて書いたのが本書である。
問題の設定の仕方は次の通りである。
権力も富もない普通の人びと(民衆)のサイドから「開発」とか「工業化」とか、あるいは「近代化」と呼ばれるような現象を見たら、それはどのようなものか、というのが私の問題設定である。それを考えるために、産業部門で言えば農業、工業、運輸、流通・販売の現場から、さまざまな素材を拾ってみた。本書の順序はすっきりしたものではないが、ほぼその流れに沿っている。地域的な区分は、それほど明確なものではないが、農村、都市、農村と都市のはざま、というようになっている。
地理的な舞台は、主要には日本とインドネシア(特に西ジャワ)である。日本では、高知県の西土佐村と新潟県の三条市を舞台にしている。農村、村落工業、製造業について考えるために、その二つの場所に出向いた経験があるからである。見ず知らずの、人の顔の見えないところは、なかなか正確な像を描きにくいものである。一方、西ジャワも私が暮らしたところで、土地カンが働くところである。西ジャワをもって、インドネシアや、さらには第三世界全体を論じることはもちろんできない。ただ民衆と開発という問題設定の中では、一般化できる部分も、かなりあると思う。
時間的な舞台は、主要には現代である。ただ「近代化」や「工業化」というのは、歴史の流れでもあるので、必要なかぎりにおいて、過去にもさかのぼって問題を考えてみた。たとえば第1章では、西土佐村と西ジャワのチペレス村の過去の歩みを見比べてみたし、金物の町三条の技術の歩みを追ったりもしている。