目次
第1章 はじめてのビエンチャン
赤い街・水の街【R&Å】 家さがし【R】 契約交渉【R】 村の我が家【R】 ボーペンニャン【R】 我が家の助っ人たち【R】 カオ・パンサー【R】
第2章 村の生活——その一
ワット・チョンペット【R】 モーニングコーヒー【R】 マダムの買い物【A】 ジャガ芋が消えた日【A】 ノイさんの料理【A】 ダムの料理【A】 マダムの誕生日【R】 爆弾事件続発【R】 内戦の後遺症【R】 電話代【R】 自家用車購入【R】 メコン川増水【R】 ティアさん【A】 ラッキーさん【A】 ラッキーさんの親戚【A】 ヤックくん【R】 菜園の収穫【R】 タイへの買い出し【R】 ボートレースの日【A】 タートルアン祭り【R】 得度式【A】
第3章 村の生活——その二
朝の散歩コース【A】 夕方の散歩コース【A】 我が家の小動物たち【A】 アナ—マイ【A】 村の子どもたち——タコブの実【A】 村の子どもたち——ラオス語の先生【A】 新年のバーシー【R】 スーカンさんの夢【R】 ドロボー騒動【R】 我が家の防犯対策【R】 高校生と道普請【A】 お盆のちまきづくり【A】 末子相続【A】 オーク・パンサーと灯籠流し【A】
第4章 ビエンチャン観光
タートルアン【R】 アヌサワリー【R】 タラ・サオ【A】 ワット・ホー・パケオ【R】 ワット・シーサケート【R】 動物園【R】 岩塩工場【R】 ナムグム・ダム【R】 陶器村【R】
第5章 小旅行——シェンクワン
ジャール平原【R】 ワット・ピアワットの廃墟【R】 クラスター爆弾の悲劇【R】
電気のない街【A】
第6章 小旅行——ルアンパバーン
古都ルアンパバーン【R】 大晦日の市【R】 パレード【R】 パバーン仏の渡御【R】 奉納舞い【R】
第7章 TV番組制作
農業普及庁【R】 小型デジタル・カメラ【R】 月間予定表(ホワイト・ボード)【R】 時間厳守【R】 技術移転(番組の作り方)【R】 ラオ国営テレビの「若き獅子たち」【R】
第8章 さらばビエンチャン
我が家の年末年始【R】 秘書になったラッキーさん【A】 食堂を出したティアさん【A】 我が家の「ピーマイ・ラオ」【A】 お別れバーシー【R】 引っ越し【R】 空港で【A】
あとがき
【R】は菊地良一、【A】は菊地晶子が担当。
前書きなど
私たちは、二〇〇〇年六月から二〇〇二年六月までの二年間、ラオスの首都ビエンチャンで暮らしました。JICA(国際協力事業団、現・国際協力機構)シニア海外ボランティアとしてラオス農林省に配属され、農業普及テレビ番組の指導をするのが仕事でした。
帰国してすぐ、東京・神田にある「アジア文庫」に足を運びました。「アジア文庫」は、一九八四年に開業したアジア関連のさまざまな書籍を扱う書店です。「ラオス」と表示された書架は、相変わらずたった一列、一〇タイトルもありませんでした。二年前、ラオスへ出発する前に見た時とほとんど変わっていません。
一方、隣の「タイ」の書架には、まさにあふれんばかりの書籍が数列にわたって並べられているのです。日本人にとってラオスは、タイに比べ、それほど関心も魅力もない国なのでしょうか。確かにラオスには、見るべき観光地もありません。食べ歩きや買い物の楽しみもありません。タイに比べ、物価も安いとは言えません。
しかしそこには、日本人がどこかに置き忘れてきてしまった人情あふれる素朴な生活とゆったり流れる時間があるのです。いわば「スローライフ」の世界です。
いま日本では、「スローフード」、「スローライフ」という生き方が、脚光を浴びつつあります。「スローフード」は、一九八〇年代のイタリアの地方都市から始まった運動で、「ファーストフード」を排し、土から採れる食物を、時間をかけて調理し、ゆっくり食べ、本来の食生活を取り戻そうという生き方です。この運動は、日本でも広まりつつあるようです。それは、地域で生産し、地域で消費することを意味する「地産地消」という言葉が生まれたことからも伺えます。この考え方を発展させた「スローライフ」は、日本でいえば高度経済成長後の大量生産・大量消費、それを支えた効率とスピードに偏った価値観への反省から生まれた生き方かと思われます。
動物は、本来「必要な分」しか食べません。一方人間は、「もっと多く」と望み、その結果「環境破壊」、「人間性の喪失」などの問題を生み出しました。「スローライフ」とは、「多くを望まない」もうひとつの生き方なのです。ラオス人が、スローライフを意識