目次
第1章 始めに
第2章 「クメール族出身」 1928−1949年
ポル・ポトは誰か 宮廷とのつながり 1930年代のプノンペン
過去の重み 動き出す民族主義 コンポンチャムへ プノンペンに戻る
民主党のために活動する
第3章 共産主義者となる 1949−1963年
パリの一年目 カンボジアでの政治の動き 1950−1951年
左に向かう 共産主義者となる
第4章 さまざまな正体 1953−1963年
ベトミンに加わる ジュネーブ協定と1955年選挙 教員になる
党活動家 党に焦点を当てる カンボジアの党が形成される
トゥー・サムトーの死 僧侶や学生に話しかける
第5章 「クメール・ルージュ」 1963−1970年
ベトナムの人質 ベトナム訪問 中国訪問 戦術転換
サムロート蜂起 武装戦闘 1968−1970年
シアヌークが統制力を失う サロト・サル、北ベトナムへ旅行
第6章 権力を握る 1970−1976年
サロト・サル、帰国 民族民主革命 停戦から爆発へ
唯一の街の戦争 シアヌークがサロト・サルを訪問する
最終攻撃の準備 最終攻撃 サロト・サル、プノンペンに帰る
民主カンプチアを創設する ポル・ポトの登場
第7章 燎原の火 1976−1977年
5か年計画 76年9月−10月の危機 民主カンプチアにおける粛清
ポル・ポトと細菌たち インテリを処罰する 個人生活の詳細
ベトナムとの戦争 公になる
第8章 ばらばらになる 1977−1979年
ポル・ポトの中国、北朝鮮訪問 カンボジアとベトナムの戦争
戦争開始 開放 敵を攻撃する 個人崇拝 ポル・ポトの展示
第9章 「祖父87」 1979−1994年
民主カンプチア史の発見 民主カンプチア隠し
改悛している楽観主義者 1979−1981年 視界から消える
防衛のための要約 カンボジア「問題」の解決
1988年以降のポル・ポト 、結び
◆著者のメモ/年表/原注/ツールスレンに残された粛清犠牲者の記述文書