目次
【第1章「プガジャ」70年代の情報誌事情】
■目次
・情報誌の草分けだった「プガジャ」
・タダで映画を見られると思って
・どんな仕事をしていたか
・情報に対する考え方が今とは違っていた
・アクティブだった当時の若者たち
・自主上映も多かった
・「プガジャ」の自主企画
・井筒監督と『ガキ帝国』のころ
・映画にも出た森晴樹編集長
・メッセージ性が必要とされない時代に
・「プガジャ」といしいひさいち
・「プガジャ」の果たした役割
・政治運動との距離
・「プガジャ」を特徴づけたもの
【第2章「プガジャ」変革の時、サイズ変更の事情】
■目次
・サイズ変更時の編集長
・「プガジャ」との関わり
・編集長としてやろうとしたこと
・B6からB5へ、なぜ変えたのか
・いしいひさいちとの出会い
・サイズ変更による影響と反響
・大物続々登場の誌面
・未来につながる「プガジャ」のおもしろさ
・中島らものことなど
・人と人とのをつくった「プガジャ」
【第3章「プガジャ」で過ごした日々。80年代の空気】
■目次
・僕たちが入社した八〇年代前半の「プガジャ」
・B6サイズ最後の号に間に合った
・二十代にしかできない、しかしいちばん楽しい仕事
・ひとつの時代が終る予感
・他の情報誌とは違っていた
・さまざまなものが変わっていった
・吉本興業とトラブった!
・女性が強かった編集部
・音楽シーンにも変化が
・継承されている「プガジャ」スピリット
・劇団員でありつつ編集部員
・雀三郎製アルカリ落語の会
・フォークからアメリカ西海岸へ
【第4章「プガジャ」創刊時から、70年代の空気】
■目次
・もっともっと会社じゃなかった
・動き始めた渦のど真ん中にいた
・時代のすべてがロックだった
・「プガジャ」のイメージは
・続けてても違う「プガジャ」になっただけ
【第5章「プガジャ」最後の苦闘】
■目次
・名古屋の『プレイガイドジャーナル』に入る
・とにかく貧乏だった
・北村想の「寿歌」と『不・思・議・想・時・記』
・名古屋の「プガジャ」から、大阪の「プガジャ」へ
・のんきでルーズだった大阪「プガジャ」
・意識改革、経営改革に取り組む
・編集長になり、中島らもに出会う
・吉本の情報拒否問題で学んだこと
・「プガジャ」で出会ったイラストレーターたち
・「もうあかんねん」と言われて
・「身売りするとはこういうことや」
・「プガジャ」を本当の出版社にしたかった
・性に合っていた大阪
・プロの仕事はできていた
【資料編】
■目次
・「プガジャ」発刊の辞
・「プガジャ」最後の編集後記
・情報誌年表
・プレイガイドジャーナル記事索引・抜粋
・プレイガイドジャーナルの歩み