目次
序
1章 系譜──啓蒙と医学の150 年(1740-1913)
ヘニングス家の系譜
母クララ・ディートリックス
ビーレフェルドのアショフ家
枢密院顧問ルードウィヒ・アショフ教授
2章 フライブルグの幼少期、ボンの学生時代(1913-1939)
学部は何と言うだろうか
大戦
学校と教育
エッシェンホフの動向
有名な父親
高等学校時代
前臨床医学
学生団体アレマニア
父、息子そして国家社会主義
国防軍の二等兵
博士号研究:再びフライブルグ
3章 氷水の中の手──戦時の研究と愛(1939-1945)
ゲッチンゲン
ポーランド出征
氷水の中の手
ヒルデ・ユング
政治
教授資格試験
ブラネンブルグ・アム・イン
4章 代理人──ゲッチンゲン、ヴィルツブルグ、ハイデルベルグ(1945-1958)
解放
ゲッチンゲン大学新聞
脱ナチ化
ヴィルツブルグ:代理主任
ヘルマン・ライン
研究への復帰
ハイデルベルグの代理人
アショフ家
自立への道
5章 生物時計──前史(~1960)
葉の運動
動物実験:活動と休息
生きている時計
リズム研究の萌芽
生物時計
コールド・スプリング・ハーバー
6章 エーリング・アンデックス──科学の砦(1960-1971)
そしてまた総てが全く変わってしまった
エーリングの伯爵
彼の体内時計
おもしろい研究
学識
会議と旅行
客のもてなし
7章 地下壕実験室(1964-1989)
計画と建築
実験
内的脱同調
アショフとヴェーファー
他の人々
8章 超有名人(1971-1981)
立ち机の研究
非重要人物(VUP)のための歓迎会
リズムと温熱収支
医学と生活のリズム
所長
マックス・プランク革命
招待、表彰
友人
再びリーダーとして:リングベルグとハンドブック
定年退職
9章 2人の法王──友情と競争(1958-1996)
コリン・ステフェンソン・ピッテンドリック
友情と競争
書簡と書籍
遍歴の遊牧民
受賞候補指名と受賞
コリンの晩年
10章 帰郷──フライブルグの引退生活(1981-1997)
なおも進む研究
行動科学研究所の終焉
日本との関係
ヒルデの死
11章 ノートバイラの墓標(1997-1998)
悲嘆と悔恨
葬送の行進
遺産と評価
補足
ユルゲン・アショフの栄誉
アショフ・ホンマ賞(受賞者一覧)
アショフ・ルーラー(受賞者一覧)
SRBR 学術集会におけるピッテンドリック・アショフ講演
謝辞
注釈
引用文献
訳者注
訳者あとがき
ドイツ全図