前書きなど
はじめに──安倍政権を直撃した新潟県知事選(〝新潟ショック〟)の歴史的意味
JR柏崎駅から北西に八キロほど日本海沿いに走ると、世界最大規模の東京電力「柏崎刈羽原子力発電所」に着く。〝産みの親〟というべき田中角栄・元首相の実家はここから十キロ足らず。海辺の砂浜を歩いていくと、フェンス越しに七基の原子炉施設が立ち並ぶ光景を目にすることができるが、一帯は砂地の軟弱地盤。もともと農地開発する予定だった二束三文の土地が、田中元首相の系列会社を経て東電に転売された結果、およそ原発立地に相応しくないところに巨大な原発群が林立することになったのだ。
この土地転がしで得た五億円を資金源に田中元首相は、佐藤栄作首相(当時)の後継者を決める一九七二年七月の自民総裁選で億単位の金をばらまいて首相ポストを射止めた(田原総一朗著『東京電力企画室』などが紹介)。新潟に上越新幹線を引っ張ってくるなど『日本列島改造論』を政策綱領に掲げて全国に新幹線や高速道路を張り巡らせた実績は好意的に語り継がれているが、途方もない負の遺産を地元に残した汚点(県民や国民に対する犯罪的行為)については忘れ去られつつある。
だが、田中角栄時代から連綿と続く金権腐敗体質と原発推進政策を引き継ぐ〝原子力ムラ内閣〟こと安倍政権にショックを与えた「新潟県知事選(二〇一六年十月十六日投開票)」こそ、田中元首相の負の遺産の〝落し子〟のような泉田裕彦知事(二〇〇四年〜一六年)を軸に展開したものだった。そして、原子力ムラに対峙してきた泉田知事に共鳴する頑強な〝変人たち〟を次々と呼び寄せてもいったのだ──。
「角栄王国」とも呼ばれた新潟で自民党が十二年前に担ぎ出して初当選した全国最年少知事の泉田氏は、就任直後と三年後の二回の中越沖地震の陣頭指揮を取った結果、東電や経産省などの原発推進勢力(原子力ムラ)と対峙する異色の〝変人知事〟に生まれ変わっていたのだ。
特に〇七年七月の中越沖地震で柏崎刈羽原発は緊急停止でメルトダウンは免れたものの、放射能漏れと火災事故が発生。しかし軟弱地盤の上に立つ敷地内外では道路の陥没や地割れが続出、消火作業や避難に支障をきたした。この混乱の中で県民を守るために奮闘した泉田知事は、「安全神話」にすがって杜撰な「原子力防災(原発事故時の災害対応)」で事足りていた東電や経産省に厳しい姿勢を取り始める。放射能被曝の遮断が可能な「免震重要棟」が遅ればせながら柏崎刈羽原発に設置されたのも泉田知事の功績だが、「同じ東電の原発で同じ沸騰水型の福島第一原発にも設置すべき」と東電に提案、実現させるのにも貢献した。
ちなみに福島第一原発に免震重要棟が完成したのは、二〇一一年三月十一日の東日本大震災の八ケ月前。この免震重要棟で吉田昌郎所長(故人)が原発事故対応の陣頭指揮を取ったことに注目すれば、泉田前知事もまた、現場に最後まで残った吉田所長ら〝決死隊〟社員と同様、「関東圏に人が住めなくなる」という最悪の事態回避に貢献した功労者に違いないのだ。
現場の実体験が「原子力防災の第一人者」に鍛え上げたともいえるが、県内外での泉田知事の存在感が増すにつれて、原子力ムラからの攻撃は激しさを増していった。古巣の経産省からは「変人知事」という情報を流され、現役霞ヶ関官僚が書いた小説『原発ホワイトアウト』(若杉冽著、講談社)では泉田知事のモデルの伊豆田知事は原子力ムラが仕掛けた陰謀で逮捕されて失脚、その後に原発テロでメルトダウンに至るクライマックスとなっていた。
その小説の結末とぴったり重なり合うことが現実で起きた。自民党と地元新聞と東電が水面下で連携しているようにみえた〝泉田知事降ろしキャンペーン〟が新潟県知事選を控えた夏ごろから激しくなり、告示を一ケ月後に迫った八月三十日に泉田知事が四選出馬撤回を発表したのだ。
それでも県知事選で選対本部長を務めた森ゆうこ参院議員は、候補者が決まる前から「泉田知事の弔い合戦に負けるはずがない」と勝利を確信。事務所確保とポスター手配を先行させる中で告示の六日前のギリギリのタイミングで擁立に至ったのは、政治行政経験ゼロの米山隆一氏。医師と弁護士資格を持つ「類まれなる秀才」(森選対本部長)ながら十一年間で落選四回。当初、〝万年落選候補〟が自公推薦候補に勝てると思った人は少なかったが、次期総選挙に立候補する予定の民進党を離党して自らの退路を断ち、〝新潟の小池百合子〟となって立候補したのだ。「政治のプロからは理解困難な〝変人〟」(県政ウォッチャー)であったが、「福島原発事故の検証と総括なき原発再稼働はありえない」が持論の泉田知事路線継承を掲げ、再稼働反対の民意の受け皿となって急速に浸透、奇跡の逆転勝利を収めたのだ。
この〝新潟ショック〟を絶賛したのが、「永田町(政界)の変人」と言われた小泉純一郎・元首相だ。「野党統一候補が原発を争点化すれば、与党は敗北(安倍政権は下野)」と語った小泉元首相は当選翌月に新潟で講演、米山知事と手を握って高らかに掲げながら「原発政策を新潟から変えて欲しい」とエールを送った。首相時代に「郵政民営化イエスかノーか」を問う〝小泉郵政選挙〟を仕掛けて圧勝した勝負師が、今回の「再稼働イエスかノーか」を最大の争点にした〝米山流原発選挙〟を高く評価したのだ。
安倍政権を打倒して原発ゼロを実現する道筋が見えてきた。それは、「小泉元首相の助言に従って〝米山流原発選挙〟を全国展開、各地の野党統一候補が原発再稼働を大きな争点にして与党を過半数割れに追い込み、新たに誕生した連立政権が原発推進のエネルギー政策を転換する」というものだ。新潟から安倍政権打倒(=原発ゼロ社会の実現)の〝狼煙〟が上がったともいえるのだ。
すでに全国各地では、今回の〝米山流原発選挙〟ほど明確でないにしろ、原発争点化で勝利あるいは善戦したケースがいくつもあった。局地戦勝利の実績は収めていたといえるが、今回の新潟県知事選をきっかけに点と点が線となり、そして面となって全国に広がることで、安倍政権下野のカウントダウンが現実味を帯びてきたといえるのだ。
「90万部突破!」「田中金権政治批判の急先鋒だった石原慎太郎が万感の思いを込めて描く田中角栄の生涯」と銘打った『天才』(幻冬舎)の中で石原慎太郎元都知事(元・日本維新の会共同代表)は、田中氏を「紛れもない愛国者だった」として次のように絶賛している。
「エネルギー資源に乏しいこの国の自活のために未来エネルギーの最たる原子力推進を目指しアメリカ傘下のメジャーに依存しまいと独自の資源外交を思い立ったのも彼だった」
しかし柏崎刈羽原発の実態に目を向ける時、田中元首相はもちろん、原発推進の姿勢を引き継ぐ安倍首相もまた、愛国者とは対極にある「亡国の首相」にしか見えないのだ。と同時に、そんな歴代自民党政権と足並みを揃える電力業界や経産省などの原子力ムラと対峙してきたのが、世間から変人呼ばわりされてきた泉田前知事や米山知事や小泉元首相であることにも納得がいく。並大抵の政治家(首長を含む)では、強大な原子力ムラに異議申立てをするのは困難に違いないのだ。
本書は、泉田前知事や米山知事や小泉元首相の〝変人トリオ〟がいかに原子力ムラと対峙したのかを紹介するものである。前著『亡国の首相 安倍晋三』の続編に当たる〝選挙実践本(ノウハウ本)〟になることも目指した。なお同じ主旨でまとめた『シールズ選挙 野党は共闘』(緑風出版)は本書の姉妹本といえる。
二〇一七年一月 横田 一