前書きなど
まえがき
『ぼくが映画ファンだった頃』……変な題名をつけてしまいました。「もう映画は観ないのか」と言われそうですが、ほとんど毎晩DVDで映画を一本か二本観ています。「映画ファン」ではなくなっても「映画好き」は持続しているんです。
往年の映画ファン(ぼくもその一人)は、映画雑誌を定期購読し、その中の新作映画情報に胸ときめかせ、封切りの日に映画館に駆けつけたものでした。
あの頃はどこの町にも映画館があって、家から歩いて映画を観に行くのが日常茶飯事のような人がたくさんいました。
ぼくが家から歩いて行った映画館は三軒。A館はアメリカ映画(たまにヨーロッパ映画)専門、B館は日本映画専門、C館は名画と謳われた戦前のヨーロッパ映画を深夜に観せてくれる。ぼくはA館で「家路」「黄色いリボン」など、B館で「生きる」「ゴジラ」など、C館で「商船テナシチー」「モンパルナスの夜」などを観ました。三軒めぐり歩けば観たい作品がほとんど観られたのですが、やがてA館はスポーツジムになり、B館は大型の食料品市場になり、C館はボーリング場になってしまいました。そんなわけで観る映画の本数が激減。
当時の映画館は、ふらりと出かけて窓口に入館料を出せばチケットを渡してくれる。今は様子が変わって窓口あたりには機械が並んでいて、あちこちボタンを押したりしないとチケットが手に入りません。ぼくは今や老人の域に突入しているので、そんな新しいシステムは手に負えなくて映画館に行かなくなってしまった。映画ファンであることを放棄したようなものです。
さかのぼって考えると、ぼくは小学生の頃に「チャップリンの黄金狂時代」「鉄腕ターザン」「ロビンフッドの冒険」を観て映画に興味を持ち、小学校卒業から中学に入る期間にジュールス・ダッシンの「裸の町」を観て興味が深まり、中学生でジョン・ヒューストンの「黄金」を観て興味はさらに深まり、その上に「映画って何て素晴らしいんだろう」と思ったんです、子どものくせに。
それがぼくの映画ファン時代の始まりで、高校、大学に進むにつれて、観る映画の本数がどんどん増えてゆきました。
学生時代は同級生たちと映画を観に行くことが多く、帰りに歩きながら今観た映画についてあれこれしゃべるのが楽しかったし、ついでに喫茶店に入って話の続きをするのも面白かった。
話題は「誰々の拳銃の抜き方がカッコよかった」とか「色っぽいあの女優の名前は何ていうんだ」とか「誰々が言ったセリフの意味わかるか」とか「あの監督は、ほかにも何々を作ってるんだよな」とか、そんな他愛もないことばかりだったけれど、あの頃の会話がいつのまにか頭にインプットされていて、ずっと後に映画に関する文章を書くようになってから当時の会話が役に立つこともありました。
大学は美術学校の図案科(今ならデザイン科)だったので、デザインとイラストレーションの基本が少し身につき、それが卒業して社会人になってから映画のポスターや映画雑誌の挿絵などを依頼されるきっかけになったようです。同じように映画関係の文章を書くことも少しずつ多くなってゆきました。
最近になってスクラップブックを開いてみたら、(二席の対談は別ですが)映画関係の原稿をかなりたくさん書いていたことに気がついたんです。どれもぼくが映画ファンだった頃に書いたものです。
それぞれコピーをとって並べてみると本になりそうな気がして、コピーの束を七つ森書館の上原昌弘さんにお目にかけました。
押しつけたわけではないけれど、上原さんは乗ってくださって、この本が出来ました。
以上がおかしな題名の由来です。