前書きなど
おわりに
大震災から三年がすぎて、私が現在でも続けている唯一の被災地へのお手伝いが、「自治体職員のこころのケア」に関するいくつかのサービスだ。
匿名で寄せられる電話相談の内容は、次第に深刻かつ複雑になって来ているのを感じる。震災前から抱えていたそれぞれの悩みや迷いに、震災後、職場や家庭で生じた新たな問題が加わり、どこから解決してよいのかわからない、と話す人が多い。日本の社会全体は「アベノミクス」や「東京オリンピック」に目が向き、震災や原発事故は何かの節目に思い出されるだけの「過去」になりつつある。それも被災地の人たちのこころを追い詰めているのを感じる。
本書で繰り返したように、「悲しみ」の問題も「生と死」の問題も、本当の意味ではそれを経験する当事者やそのまわりにいるほんの数人にしかわからないことで、決して一般化して語ることはできない。とはいえ、「わからないことはわかっているが、それでも少しでもわかりたい」と近づき、寄り添い、話をしてくれるように頼むことさえあきらめてしまうのは、もはや人間として同じ社会に生きることをやめるのに等しいと思う。
精神科医としての生活も三〇年に近づこうとしているが、年月を重ねれば重ねるほど、私は「たとえ目の前にいたとしても、自分以外のひとの気持ちはわからない」という真実を突きつけられ、絶望するばかりである。
しかし、だからといって「わかるのをやめたい」とは思わない。「わからない」ことと、「わからないけれど、わかりたい」と思うこととは、まったく違うのだ。これからも「ひとの本当の気持ちはわからない」と煩悶しながら、でもあきらめることはなく、さまざまな苦しみを抱えて診察室にやって来る方々のこころに少しでも近づけるよう、精神科医としての道を歩んでいきたい。
本書は、七つ森書館の中里英章さんと金子なおかさんの導きによって完成させることができた。いつも弱い立場にある人、悲しみのさなかにある人へのあたたかい視線を忘れない七つ森書館の姿勢から学ぶことはとても多い。こころからの感謝を伝えたい。
悲しみ、落ち込み、こころもからだもすり減り、しゃがみ込んでいる人、その人たちを支えるために尽力している人に、本書がせめてお茶一杯分くらいの癒し効果をもたらすことを祈りながら筆をおくことにしよう。もうすぐやって来る春を楽しみにしながら。
二○一四年東日本大震災から三回目の春を間近にしながら 香山リカ