前書きなど
epilogue ともに生きる社会をつくる
西日本には、まだ過去がある。
西日本に行くたびに、「あぁ、ここにはまだ過去がある」と思う。
あぁ、確か昔、こんなような時代があったなぁ、と。
何も考えずに、空気を吸う。
何も考えずに、食材を買う。
ここは何マイクロシーベルトかなんて、考えることもない。
ああ、これはいつか見た過去だと。
そしてまた東日本に行くと、未来がある。
◆「頑張る美しい被害者たち」などいない
私が原発に反対しようと確固たる意志を持ったのは、原発事故は、核事故だからである。そして、それはただ人間の身体を壊すだけではなく、人間そのものを壊すということが分かったからだ。
いま、福島に行っても、放射線量を測る人を見ることはない。お母さん、お父さん、子どもたち、すべての人たちの頭の中にはもう、ここは何マイクロシーベルト、ここはこの位というのが、細かくインプットされている。だからわざわざ測る人がいない。
彼らはすでに大量の情報を持っている。
そんな中、福島で韓流ブームが起きた。
えっ? と思った。何マイクロシーベルトだとか、そういう数値が頭の中にいっぱい入っている、そんな人たちの間で、なぜいま韓流のドラマや映画のDVDがひっぱりだこになっているのか、と。
「何も考えない瞬間をつくりたいから」とある女性は言った。いつも放射線量のことを考え、いつもドキドキ、ハラハラしながら、子どもに対して申し訳ないと思いながら生きている。そうすると、おかしくなってくると。
福島に残っている親たちは、バカな親と言われる。そして、子どものためを思って一生懸命に放射能のことを考えていると、「お前、まだ考えているのか?」と言われ、子どもがちょっとでもおかしくなったら、「お前が神経質だからだ」と言われ、あっちからもこっちからも叩かれる。
だから、少しでもそれを考えないで済む時間をつくろうとすれば、何かに熱中するしかない。それで韓流を見るのだと。
テレビでよく見る「頑張る美しい被害者たち」。私はそんな人に一度も会ったことがない。
「頑張れと言われると、棄てられたような気持ちになる」と、よく言われた。「明るい復興の兆し」という言葉に、本性が見えたとも。それは、見たいものだけを見て、現実を見ないということだ。テレビというのは、自分は何もしたくない、責任から逃れたい、考えたくないと思っているマジョリティに、安心を与えるための装置なのだ。それが、本当の被害や本当の苦しさを映し出すことはない。
時限爆弾を抱えたまま地雷原で生きていくには、何でもないふうを装っていなければならない。そして、いつも視られている。
私が、被災地の人にきちんと話をしてもらえるようになったのは、原発事故から1年たってからだ。なぜって? それは、こいつに話をしたら分かってくれるのか、くれないのか。誰に話していいのか、いけないのか。1年かけて、ようやく、話をしても大丈夫だとわかってもらえたからだ。
いつも、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキしながら生きている。
もしいま福島で、誰もが怖さを隠している中で、放射能が怖いなどと言ったら、攻撃されたり、無視されたり、仲間外れにされたりと、さまざまなことが起きる。
誰が敵なのか、誰が味方なのか、何を話していいのか、どこまで言っていいのか。必死でそれを読み取る。そんな生活が続いている。
避難しない親のことを、とても多くの人たちが非難、つまり攻撃する。
「子どものことを考えたら、なぜ逃げないんだ」と。
でも、人はそれぞれ、さまざまな生活を抱え、さまざまな生き方をしているのだから、移動できない人だってたくさんいる。その上、避難したらしたで、今度は「逃げた」と言われる。避難先での生活が立ちゆかなくなって戻れば、「逃げた奴が戻ってきた」と言われる。
そしていま言われるのは、「逃げた」ではない、「消えた」である。
「あっ、○○ちゃん消えた!」「誰それさん消えた」
「消えた」というのは、もうその瞬間からそこからなくなる、その会話からなくなるということだ。
ひとりひとりが皆、壊されていっている。……(後略)
※ ※ ※
福島
福島を隠すことを 両親は獣のような鋭さで覚えた
ふるさとが福島だといって 死んでいった友がいた
ふるさとを告白し 愛する者に去られていった友がいた
わが子よ お前には胸を張って
「ふるさとは福島です」と名乗らせたい
瞳をあげ、何のためらいもなく
これが私のふるさと福島です と名乗らせたい