前書きなど
はじめに
講演をする時、私はたいていレジュメなるものを出さない。簡単なメモはつくるが、聴衆の反応や自分の思いつきで話を変えることがあるからである。
話している間に、新しい視角を発見したり、展開が変わったりして、思いもよらない地平を一望できたりする。
そのように流れが変わった時のほうが聴衆の反応がいいようである。何よりも自分自身が興奮して、今日の講演はうまくいったのではないかと勝手に手応えを感じたりする。
私は基本的に予定調和が嫌いである。こうすればこうなるというのが嫌いだから、得意顔に「日本はこうなる」などと語る輩には憎しみの念すら抱く。長谷川慶太郎をはじめ、そんな予想は当たったためしがないのだから、ありがたがって占いを求める読者が愚かなのである。
「どうなるか」と尋ねるが、あなたを含めて私たちが「どうするか」で、「どうなるか」は変わってくるだろう。あなたは競馬を見ている観客ではないのである。
私の講演の演題は、たいてい、「いま、日本を読む」である。過去とつながる現在をどう読み、どうすべきかを示す。だから、問いかけが多くなり、観客席にすわって安易な予想を求める聴衆や読者からはうるさがられることになる。
しかし、著者にも読者を選ぶ権利はあるだろう。そのときどきに内容の変わる講演のテープを起こしてもらい、それを基に新たに書き直したこの本は、僭越を承知で言えば、読者を選ぶ本である。歯ごたえのある本を読み、自らの考えを鍛えたい読者にこそ読んでほしいし、それ以外の読者には手に取ってもらいたくないとさえ思っている。
いささかならず逆上して、ここまで断言してしまうのは、最近、必要があって、塩野七生の『日本人へ』(文春新書)や池上彰の『伝える力』(PHPビジネス新書)といったベストセラーを読み、そのあまりの空虚さ、軽薄さに絶望的になったからである。
しかし、決して多数ではなくても、そうしたジャンク・ブック(クズ本)に満足しない読者も、この国にいることを信じて、私はこの本を刊行する。
若者向けに語ったものをまとめてもらった『小泉(純一郎)よ、日本をつぶす気か!』(KKベストセラーズ)が新しい読者を獲得したが、聴衆を目の前にした語りから出発したこの本が未知の読者とのめぐりあいをもたらすことを期待してもいる。
先に出した『竹中平蔵こそ証人喚問を』(七つ森書館)を「各論」とすれば、この本は「総論」であり、より広く、より深く、「竹中問題」、いや「日本問題」を追及した本である。
二〇一一年二月一〇日 佐高 信