前書きなど
あとがき
中国からのギョーザに農薬が入っていたと大騒ぎしていたら、そこに食料危機なるものが津波のように押し寄せてきて、世界中をのみ込んだ。せきたてられるように、本書の執筆を急いだ。表面にあらわれている出来事は分析しつくされている。6月には国連が食糧危機をめぐって「食糧サミット」を開き、この本が書店に並ぶころ、北海道・洞爺湖のリゾートホテルに世界のおえらいさん8人が集まり、G8サミットなるものが開かれているが、そこでも食料問題が論議の種になっているはずだ。
長年農と食をめぐる問題を見つづけ、現場で当事者の方々と動いてきたものとして、私たちはいま表面にあらわれているあれこれの根っこでなにが起こっているのか、それはどういう意味を持っているのかを明らかにしたいと考えた。「食べる」ことは、農という自然と人間が織りなす営みによってつくられた「食材」のなかに宿る「生命」を、「料理」するという行為を通して引き出し、それを「食べる」ことで私たち自身の「生命」を再生産することだと思う。この「生命の循環」「生命の再生産」の根っこにまでさかのぼって、いま起こっていることの意味をとらえてみたいと思ったのだ。
この野心的な試みが成功したという自信はないが、とりあえず食の根っこの現実をとらえ、そこで人びとがどう生き、あるいはどう生きようとしているかについては、お伝えすることができたと思う。
そのなかで気付いたのは、食の根っこをとらえるというのは、世界を丸ごととらえることだなあということだ。そう思って世の中を改めて眺めると、人も社会も壊れてしまったなあ、と思いたくなるような出来事が続いている。職場では経営の悪化を働く者のせいにして、仕事を取り上げ、賃金を切り下げ、過重労働を強いる。海外から安い農産物が入り、農産物の値段をどんどん切り下げ、田んぼや畑で働く人が食べられなくなる。村や町の工場は海外に行ってしまい、商店街が消えていく。社会保障や医療に金をかけるのは無駄だからと、予算が次々と削られ、社会を支える仕組みが空洞化する。これら目の前で起こり、自身も当事者であるもろもろのもとをたどっていくと、いま地球上をくまなく覆っている異常な競争社会に行きつく。追いこせ、勝ちぬけ、そのために効率をあげろ、人のことなどかまっておれるか、自然? なんぼのもんじゃ、俺は勝ち組だ!
これをグローバリゼーションという。生命も自然も文化も、すべてのものに値札がつけられ、地球上を動きまわる。売り物にならないもの、売り物にしてはいけないものは、消え去るしかない。安全も安心も、それが商品にならない限り存在できない。すべてのものが売り買いされるということは、力のある者がますます肥え太り、貧しい者はいっそう貧しくなり、本来その地域に住む人びとのものであった自然環境も地域資源も文化も、肥え太った強者に吸い上げられることを意味する。そして、貧困と飢餓が世界を覆う。 田んぼや畑、食の加工や調理の場、食卓、それぞれの現場で働く、あるいは食べる人を訪ねるなかで、私たちは、いま食の世界で起こっていることの背後に、この世界を覆う貧困の連鎖があることに突き当たった。とすれば、その連鎖を断ち切ることなしに、私たちは「生命の再生産」としての食を取り戻すことはできない。誰にも生きる権利があること、生きる権利を求めて世界中の人びとがたたかっていること、足元では「くらし」を自分たちでつくりなおす実践がこれまた世界中ではじまっていること、食の現実を描くことを通して、そんなことがお伝えできたとすればとてもうれしい。
この本を世に出すにあたって多くの方々のお世話になった。日頃何気なく付き合ってきた友人、知人からは、「食べる」ことの現状をたくさん教えられた。国際協力NGO、日本国際ボランティアセンターのみなさんの現場からの報告と写真は、本書の内容を豊かにしてくれた。農業交易問題の専門家である近藤康男さんはじめ多くの専門家の方の分析や論文にずいぶん助けられた。そしてなにより、私たちの思いを形にしていただいた七つ森書館のみなさん。記して感謝したい。