前書きなど
                    前書きのひとりごと
 承前
 「西村さんは農家の生まれですか?」
 「いえいえ、私は都会育ちですよ。まるっきりの。生まれも育ちも京都市のど真ん中です」
 「エエッ! ほんとうですか。わからないなあ」
 いろいろな人と出会う機会が増えるにつれて、こんな問答が、よく出てくるようになりました。そこで考えたのです。ここらでひとつ、私の有機農業遍歴というか、さまよい続けてきた三十数年を振り返ってみて、そこで出会ったさまざまな篤農家の人たちに教えてもらった知恵や技術を書きだしてみよう。
 そうすればこれだけの知識や技術を、けっして私だけで工夫できたわけはないのだと納得していただける、そして、これから小さな菜園をやってみたいが、どうすればいいかわからない? という人たちの背中をポンと押して、一歩踏みだすきっかけにはならないか。そう思ったのです。
 作物を育てるというのは、簡単なようでけっこうむつかしいものです。いや、ややこしいと、言ったほうが正確かもしれません。というのは私自身が菜園をやってみて、冷や汗をかくこともしばしばあるからです。そういう私の失敗談ももちろん紹介してみましょう。それが何より、実際に役立つはずですから。
 一九九八年に京都市内から居を京都中部の山間部に移しました。JR山陰線の胡麻駅から徒歩で二〇分。町道に面した小さな谷の行き当たりは自然真っただ中の一軒家です。駅から車で帰る夜道には、毎晩のように鹿が跳梁し、ときには車にぶつかるような勢いですぐ前を横断してゆきます。狸や狐が昼間でも時折姿を見せ、目が会ったときには、「ここは俺たちの棲むところ。お前たち新参者は遠慮しろよな」と言いたげで、すぐにフンと知らんふりをして、走り去ります。雉は玄関脇の小さな藪で卵を抱き、孵化した雛にとっては私の畑が格好の遊び場所。玄関に近い栗の木は、毎年大きな実を落としますが、猪が戸口で、大好物の栗を食べながらブヒーッブヒーッと鳴き声をあげると、わが家の愛犬の豆柴は尻尾を下げて家の中で震えるのです。春ともなれば、蕗の薹にはじまる山菜が、次々と食卓に出て、田舎暮らしを満喫できるのですが、そんないいことずくめではありません。それはともあれ、心配事が増えるのも田舎でした。その心配事は、日本の食糧事情の行く末です。ですが、これについては、別の機会にグチることにして、話を進めます。
 本書の前に『有機農業コツの科学』という本を出版しました。それは、有機農業にまつわる技術的な問題をとりあげ、ともすれば「江戸時代に戻る気なのか」といわれることがあるように、的はずれな反論をかわして、きちんとした有機農業の技術論を書いてみよう、それもわかりやすく、と思い立ったのがきっかけでした。そういう意味ではまとまりのある本になったと思います。しかし、「よくわからない」とか、「むつかしい」といった声をいただいたこともあって、もう少し菜園向きのやさしい内容にならないだろうかと思っていたのです。
 本書は、有機農業をなさっている篤農家で、それぞれの作物については右に出る者もないと言われるほどのプロ——それも農薬や化学肥料を使ってはいなくて、虫も病気も引き起こさない実践家の知恵や技術と粋を、わかりやすく解説したものだといえます。
 そこで、本書は技術論にまつわる植物の栄養や、土そのものの育て方など、込み入った話をできるだけ省いた入門書にしたつもりです。
 こうした意味では、本書を読まれてから、前著をお読みになれば、専門的な内容も含めて、有機農業に関してはいっそうの知識・技術と理解が深まるはずです。本書を読まれて、さらに興味深く有機農業について知りたいと思われた方は、手前ミソですが、セットで読んでいただくことをお勧めします。
 さて元に戻りますが、なによりも本書を執筆しようとした動機は、田舎暮らしで私が満喫している生活の一端を担っている菜園——それを小規模でもよいから、小さな菜園を出発点として、安心できる野菜を納得づくで作る経験を、いろんな方に味わって欲しかったからです。それが契機となって、「農」に関心を持つに至って欲しかったからにほかなりません。
 ほんとうに美味しい野菜は、どさっと肥料をやってできるものではありません。むしろ「こんなに小さくていいのかな」と疑問を持つほど小ぶりでも虫がつかず、健康に育った野菜は栄養をたっぷりと含み、美味しさもひとしおです。そして何より葉の色が鮮やかな新緑を表現しているはずです。市販の野菜から、まともに育った、本物の美味しい野菜を選ぶコツについては、誰にでも見分けがつくポイントを、いずれまとめて写真集にでもしたいと思っていますが、その前に、まずは自分で作ってみて、味に納得がいくかどうか、野菜の育ち方を見るのもいいだろうと思い、手軽に野菜作りができるようなポイントを書きました。北海道から沖縄にいたる長い旅の中で、私が出会った、篤農家やプロといわれる方に教えていただいたことが、本書に盛り込まれています。
 おもしろいことに作物の育ちは、けっして肥料のやり方や、管理の仕方だけで決まるものではありません。むしろ、それ以外の大きな要因が、野菜の生育をひそかに支配しているように思えてならないのです。その要因とは人です。
 「作物は人を見て育つ」
 そう思えるようになりました。三十数年にわたる、有機農業や自然農法の遍歴をかさね、自分でも作ってみて、やっとこの言葉が言えるようになりました。そういう意味では、作物を手にとって見ると、その作物を作られたご本人の人柄が手に伝わってくるのです。物言わぬ作物の姿形が、どんな言葉よりも雄弁に、育ちを語っているからです。なぜなら、その作物は生きていて、なによりも命そのものの表現だからです。
 さあ、生き生きとした命を作ってみましょう。それこそが私たちの食べるべき、本当の食べ物であるはずの作物を。そうして、人を見て育つ作物の姿がどのようになるか、挑戦してみませんか。
  二〇〇六年五月  西村和雄