目次
まえがき v
一 世の中と生き方—————1
1 「一人ひとりの生」の重さ——人の死の迎え方について思う 3
2 民衆を信ぜず、民衆を信じる……
——見通しを考える場合の視点、H・ジンの自伝など 13
3 「本質還元主義」と「本質回避主義」 23
4 最大の嘘つき、最高の恥知らずは雪印乳業か、三菱自動車か、はたまた誰なのか?
——何度でもいわねばならぬ、安保条約の廃棄を 26
5 「有事法体制」下の九条的生き方 38
6 デモとパレードとピースウォーク——イラク反戦運動と今後の問題点 63
7 死者は分裂している 75
8 「東洋文庫」とアンビバレンス 109
9 玉音放送を「対ソ宣戦詔勅」と信じた軍国少年はいま…… 116
10 半世紀近く前の夢を今振り返って 122
11 三菱自動車の欠陥隠しについて 138
12 選挙についての二つの論 151
選挙の結果について、とりあえず 152
年頭にあたって考えていること 162
二 あらためてベトナム戦争のこと—————173
1 ベトナムの勝利——人民の手による国際主義 175
2 体験の継承のために
——ベトナム「戦争証跡博物館」に日本の反戦市民運動の資料を届ける 186
3 ベトナムで聞かされた三〇年前のデモの効果 194
4 再びベトナムを訪ねて——率直で個性的な人びと 200
5 ベトナムから何一つ学ばず 209
6 ベ平連——国境を超える運動——「市民運動の宿題」以後 213
7 『兄弟よ 俺はもう帰らない』の「補遺へのもう一度の追加」 246
8 自由の危機——権力・ジャーナリズム・市民 254
三 からだのこと—————287
1 「先進民族」の後進性? 289
2 四回切腹、三ヵ月刻みで生きる 294
四 連れ合いの死—————307
1 連れ合いの葬儀 309
2 連れ合いに聞かせたかった講演のテープとフランク永井の歌 317
五 先立った人びと—————323
1 小田さんに言った最後の意見と、言えなかった意見 325
2 難死の原点を真剣に生きる 常に運動の現場で——識者評論「小田実の遺志」 340
3 鶴見和子さんとテリー・ホイットモア 343
4 新たな運動の時代への期待をこめて——小林トミさんの逝去を悼む 348
5 夢を現実に変える努力——今、高木さんと前田さんが生きていたら…… 351
6 政治参加とアジア研究と——『鶴見良行著作集』第二巻『ベ平連』への解説文 356
7 今野求さんを送る言葉 373
8 藤本義一さんへの弔辞 378
あとがきに代えて 母のこと 384
吉川勇一略歴 404
前書きなど
まえがき
六〇歳でガンに見舞われた時、よもや二一世紀まで生きられるとは思わなかった。それがなんと、七七歳にまでなった。
死ぬまでにやりたいことは、いっぱいあった。「積ん読」になったままの多くの本、買ったまま耳を通していないCD、見たい映画、行きたいオペラ、温泉巡り、そして出来れば習い始めたいピアノ……。
だが、ガンの来訪以来、一七年も生きられたというのに、そのほとんどが依然として手つかずであったり、遅々として進んでいなかったりというありさまだ。鶴見和子さん、俊輔さんご姉弟にさとされて、なんとか曼荼羅についてもっと知りたいと思い、古代仏教の本も買ったし、なんと二五〇〇ピーシーズもある曼荼羅の大ジグソーパズル(!)にまでとりかかったものの、二〇〇ピーシーズつないだところでとまっている。
老齢になると一日の過ぎるのが実に早い。何をしたのかもはっきりしないうちに、一日が経ってしまう。読書のスピードにしても、仕事の能率にしても格段に劣化している。食事の準備でちょっと手の込んだものを作ろうとすると、二、三時間もかかってしまう。
だが、それが望みの達成を妨げているのでは決してない。大きな原因はほかにある。あまりにもひどい世界と日本の状況だ。アメリカの傲慢さと独善の最たるものとなったアフガン、イラクなどへの攻撃、それを無条件に支持して自衛隊を派遣し続ける政府、教育基本法の改悪、憲法改悪へのドライブ、そして、老人は早く死ねと言わんばかりの後期高齢者医療制度、大企業の破廉恥きわまる不正の数々——とても老人が老後をゆったり楽しめるような世の中ではなく、家にじっといさせておいてはくれないのだ。本書に収めた「東洋文庫とアンビバレンス」という文は、もう二〇年も前に書いたものだが、そこでのべたような心境は今も依然として消えることはない。
おそらくは、こうした計画未達成の欲求不満のまま人生を終わることになるのだろう。畏友小田実さんもイーリアスの翻訳の途中で亡くなった。(イーリアスとジグソーパズルを同列におくひどさは自覚してますのでご容赦を。) だが、私はあまり後悔していない。かりに生まれたときからの人生をやり直せるとしたら、おそらくまた同じことをやるのだろうと思う。物心ついてからの数十年間のこの時代の経験は、人間として滅多に巡り合えるようなものではないのだろう。大きな戦争だけをとっても、「満州事変」の年に生まれて以来、これまでに何度経験させられたことか。本書に収めた八歳の時に書いた文——中国の戦場にいた父への手紙にあるような軍国少年から、現在に至るまで、私の人生は、戦争とのかかわり、それへの対応の中で作られてきたようなものだ。
こうしてベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動が終わった後も、私は同じような反戦運動や市民運動にかかわり続け、デモやら集会やらに出かけ、おりおりに文章を書いてきた。本書は、そうした思いをつづった近年の記録を集めたものである。
本書のタイトルにもした第一章2の文章は、あまりにもひどい昨今の状況の中で、ともすれば暗い絶望的な思いにとらわれることもあるのだろうが、絶望と無関心の壁の中に閉じこもることなく生きてゆくためには、どんなふうに考えたらいいか、という提案である。自己の良心が許さぬものは、たとえ政府の政策や法の規定が処罰を持って威嚇しようとも、それに従うことなく自らを律するという、市民的不服従の生き方をたどることが、乱世の中で心乱されずに生きてゆく方策だとも提案している。ご考慮くださればありがたい。
この間、ベ平連以来の長い仲間だった小田実さんが昨夏なくなったのをはじめ、多くの大事な運動仲間がつぎつぎと世を去っている。四七年間、一緒に暮らしてきた連れあいも二年半ほど前に死去した。死ということがこれまでになく身近に感じられるようになるとともに、一人ひとりの生の大切さというものをいっそう痛感するようになった。それゆえ、当然ながら、大量死をもたらす戦争への反対の気持ちもいっそう強くなり、それが私を運動にかかわり続けさせている。本書の巻頭には、そういう気持ちを述べた文章をいくつか収めたし、最後には死んだ仲間たちへの思いの文章も載せた。
カラーのページには、ここ十数年ほどの賀状をまとめてみた。私的な挨拶状ではあるが、並べてみると、ごく簡単な個人的年譜のようになると思えたからだ。(年譜といえば、かなり細かいものを私は自分の個人ホームページに載せてきた。私的に過ぎるものと思えて躊躇はしたのだが、出版社の提案で、それも巻末に付してある。)
私の意見や感想に共感してくださる同年輩の方も少なくないだろうと期待しているし、若い方には、そうした老人の経験が少しでもお役に立てるものになればありがたいと願っている。
これまでの生活では、多くの先輩、同世代やもっと若い仲間の皆さんから、さまざまなお世話をいただき、恩義をこうむった。それらのご支援なしには、今日の私はありえなかったろう。今回の出版についても、べ平連・日市連(日本はこれでいいのか市民連合)以来の運動仲間である原田隆二さんや、第三書館社長の北川明さんから、援助をいただいた。深い感謝の意を表明する。
二〇〇八年三月一四日 七七歳の誕生日
吉川 勇一
可能な方は、私個人のホームページも覗いてみてください。
アドレス:http://www.jca.apc.org/~yyoffice/