紹介
イスラムでは音楽が忌避されているというのは本当なのだろうか。よく言われる言説だが、なぜそう言われるのか、そして実際にどういう歴史をたどっているのかを本書は詳しく解説している。確かに、キリスト教と違いイスラムでは礼拝に音楽を用いない。だが音楽を用いた儀礼で有名なスーフィー教団の存在も知られている。イスラムでは音楽をどのように見ていたのだろうか。本書はこの疑問から出発し、古代ギリシアの音楽理論がイスラム世界でどのように受容されたかを見る。あまり知られていない、古代ギリシアで花開いた西洋音楽がイスラムを経てキリスト教文明へと伝播していった興味深い系譜も解説。そして、コーランとハディース(預言者ムハンマドの言行録)の中に出てくる音楽に関する記述をすべて抽出し検討する。最後にイスラム勃興以来諸王朝の君主たちが音楽に対してどのような態度をとったかも確認し、近代にいたって西洋音楽と出会った彼らが自分たちの音楽をどのように考え位置づけようとしたかを考えていく。「イスラムと音楽」という、西洋古典音楽の前史がまとめられたとも言える基本文献となる1冊。
目次
はじめに
第1章 古代ギリシアから
1.キリスト教と音楽
グレゴリオ聖歌
四線四角形ネウマ
近代記譜法へ
2.西洋音楽とイスラム世界
ウードとリュート
トルコ風
オスマン朝を訪れた作曲家達
3.イスラム世界と古代ギリシア
十2世紀ルネサンス
イスラム世界の翻訳事業
「ムーシケー」から「ムースィーキー」へ
第2章 哲学者達の音楽理論
1.キンディー
アラブの哲学者
「旋律の作曲法についての論」
ウード
楽音
リズム論
タアシール論
2.ファーラービー
第2の師
『音楽大全』
リズム論
キンディー批判
3.イブン・スィーナー
アヴィケンナ
音楽の定義
リズム論
第3章 スーフィーの修行における「音楽」
1.スーフィーとサマーウ
スーフィズム
スーフィーの登場
スーフィーの修行法 ズィクル
サマーウ
メヴレヴィー教団
サマーウに対する評価
2.サマーウに対する学者の意見
ガザーリー
ガザーリーにとってのズィクルとサマーウ
推奨される「歌」
イブン・タイミーヤ
イブン・タイミーヤとサマーウ
イブン・ハルドゥーン
メロディーと楽器
歌の技術と楽器の種類
コーランの読誦
歌(ギナー)の起源と歴史
第4章 コーランとハディースの中の音楽
1.コーラン
コーランと音楽
コーランの中の詩人
詩人の実態
コーランに登場するラッパ
2.ハディース
ハディースとは
祭りの日(第1の場面)
悪魔の歌?
祭りの日(第2の場面)
結婚の日
駱駝追い
ラッパ
酒と歌姫(カイナ)
イブラーヒームと泣き女・歌い手
ミズハルという楽器
トゥンブールという楽器
マアーズィフという言葉
音楽に対する忌避は誰が?
第5章 コーランの読誦とアザーン
1.コーランの読誦
コーランの特殊性
コーラン読誦法
ハディースの中のコーラン読誦
ハディースの中のコーラン読誦者および読誦法
ハディースの中の詩の吟唱
アザーン
第6章 君主と音楽
1.前近代の君主と音楽
正統カリフ時代(六32−六六1)
ウマイヤ朝(六六1−七五〇)
アッバース朝(七五〇−12五八)
オスマン朝(12九九−1九22)の記譜者達
音楽家スルタン達
音楽を敵視した人々
2.近代の統治者と音楽
音楽における西洋化
第1回アラブ音楽会議
音楽教育
国歌
おわりに
引用文献
あとがき
前書きなど
文字がもつ力は大きくて強い。あれは中学三年生の時のことだった。本の題名などは忘れてしまったけれど、吉田光邦氏が「イスラム教は音楽を好ましいものとしていない」という意味のことを書かれているのに衝撃を受けた。毎朝、授業が始まる前や、あるいはミサで当然のように聖歌を歌っていた私にとって、宗教が音楽を嫌うということが不可解に思えたのである。それからというもの、このことが気にかかり、いつしかそれは痼りのように私の中に居座ってしまった。
大学に入って、まず始めたことは、コーランの読誦についての音楽的研究だった。しかし、それを進めれば進めるほど、コーラン読誦を音楽と認識していないイスラムとのギャップが大きくなり、それを「音楽」として強引に押し込めようとする自分の行為に疑問を感じるようになっていった。その後、アラビア語で書かれた音楽理論書を研究するようになったが、その痼りのようなものはいっこうに消えない。それならいっそのこと、摘出してすっきりさせたいと思い立った。この摘出作業で痼りがすっかり取り除かれたとは思わないが、少なくともそれがどのようなものだったのかは理解できた−−いわばその痼りと対面できた−−ようには思える。また、その痼りが私にとって「支柱」であったことに気づかされる作業でもあった。
(後略)