yukawaharaさんの書評 2016/03/21
2016/03/21読了。将来についての章のみ。
文明崩壊の予兆も、実際の被害も、簡単な予見もできるはずの状況の中で、それでも人は破滅的な選択をするのか?作者はなるべく、崩壊が民族の性質によるという、安易で愚かな結論を避ける。さらに、人間一般が持つ錯覚や集団心理に言及しながら、「人ってこういうところがあるから、環境とタイミングによっては滅ぶことがある」と結論付ける。それはつまり、そういう人の性(さが)のようなものを自覚し、失敗例と成功例を学べば、将来の崩壊を避けることができる「かもしれない」と考えている。
キーワード:風景健忘症、埋没費用の効果(損切りできない心理)、オオカミ少年、心理的な拒絶(ダムに近い人が最も危機感がない現象)。
長いので飛ばし読み。下巻のほうが、近現代を多く取り上げている&将来についてどう活用するかについて言及しているので、こっちを読むのに時間をかければよかったかも。
読後は少しコスモポリタン?な気分になるとともに、民衆?って愚かだなぁと上から目線になった気分。
近代になり、企業活動が環境破壊の大きな部分を占めてきた時、作者は「それも合理的な考えだね、うん」と、一旦引いて冷静に考えるところはさすが、というか大企業との付き合いもあればこそか。だから嫌われるんだよこの人。でも、環境被害をうけている人たちが、必要以上に企業に対して憎悪を募らせる様を見て、作者は残念に思っているのだろうと思う。そんな暇があれば、被害状況を調査、自治体・国に民主的手続きを経て訴えたほうが「合理的」と考えるのだろう。企業は営利活動が合理、住民は訴えるのが合理、と、ちょっと冷めてる。私も同意見だけれど。
栄枯盛衰を思うとき、また読み返したい本。
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