目次
エコゾフィーの実践と主観的都市の再興 エコゾフィーに向かって エコゾフィーとは何か カオスモーズ-新しい感性に向かって カオスといかに闘うか 〈機械〉という概念をめぐって コミュニケーションの自己産出に向かって フェリックス・ガタリと現代芸術 私は滅菌された文化とは無縁である 〈文化、創造、発展〉についての考察 機械状無意識と分子革命 制度論の実践と政治 忘れられた手紙 機械への情熱 高松伸〈の建築〉について 誇らしげな東京 デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ 主観性の生産様式 機械状インターフェイスのシステム ゼロへの回帰を超えて 内在性の眩暈-無意識の生産を再構築するために 超越性ではなく機械状主観性 想像力を権力に 資本主義の新世界 軍事の倫理的再定義 スペクタクルは終わった 価値生産の新たな空間を求めて 拘束的モデルか創造的モデルか 新たな結合 社会的なものの反映としての組織形態 エコロジーと労働運動〈エコゾフィー的再構成に向かって〉 東と西の大変動−政治の再発明に向けて ポストメディアの時代に向かって メディアの倫理のために マスメディア機械は「酔いどれ船」のように航行する 潜在的なもののエコロジー 誰もが持つテレビとの個人的関係 君は戦争を見たか? コント〈童話〉としての広告
広告について 広告界への闖入をめぐって 社会的実践の再構築のために-メディアの破産、文明の危機、近代の逃走 エコロジー的大危機への不安について 危機に瀕した郷土としての地球 環境と人間-価値の出現と回帰あるいはエコロジーの倫理的課題 リゾームと樹木 新たな進歩主義的基軸 新しいエコロジー民主主義に向かって エコ的実践について もうひとつの未来ヴィジョン 今は亡き統一社会党と死産しかけの緑の党のための舞曲