目次
悲愛 目次
はしがき 金菱清
愛梨お姉ちゃんへ 佐藤 珠莉
最愛の娘 愛梨へ 佐藤 美香
お父さん・篤姫へ 目黒 奈緒美
よしくんへ 佐藤 志保
天の父なる神様 大澤 史伸
届かぬ手紙 髙橋 匡美
じいじ・ばあばへ 千葉 颯丸
故郷、愛犬との別れ 福島 希
パパが帰ってこない 後藤 英子
六十五年間、海との係わり 須田 政治
故郷を想う 渡部 典一
もう二○歳になったよ 小畑 綾香
夢でしか会えない聖也へ 小原 武久
真衣への手紙 鈴木 典行
愛しのくう太・ぶり太・ルルへ 大野友花里・三浦 愛弓・大野 泰代
大好きなお父さんへ 磐田 紀江
津波で失われた「ものたち」へ 阿部 雄一
我が愛するふる里南津島へ 三瓶専次郎
ごめんね。ありがとう。 齋藤 美希
おじいちゃんが命をかけて守ってくれたもの 赤間 由佳
大好きな父へ 赤間ひろみ
お母さんの自慢の息子 寛へ 村上 智子
ずっと三人兄弟 村上 寛剛
故郷・歌津へ 千葉 拓
いっくへ 佐藤 梨恵
わたしのふるさと石巻へ 海野 貴子
お母さんへ 佐藤 信行
6年目のあなたへ 菅原 文子
天国の貴方へ 小山まつ子
荒浜現地再建への思い 貴田 喜一
おはよう、パパ 鈴木久美子
あとがき
作者紹介
装丁 大橋一毅(DK)
前書きなど
悲愛 あとがき
震災を経験した当事者でさえわからないことがある。本書はそれを言葉につづる試みである。
言葉をつづる試みは今回が初めてではない。私たちは五年前の二〇一二年三月に『3・11慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』(新曜社)を世に送り出した。前回の方法は当事者の手記という形で、災害という事象についてひたすら「経験」としての言葉を書きつづったものである。今回の「亡き人への手紙プロジェクト」は、同じ言葉でもこれほどの違いがあるのかと思わせるほど、異なる世界観を開示したといえるかもしれない。
前回は災害の体験を一人ひとりの身の丈にあった小さな出来事として、一人称で書きつづった記録である。それに対して、今回の手紙は、いずれも愛するものへの「呼びかけ」から始まる。
私たちは二〇一六年、世間を驚かせたタクシードライバーの幽霊現象をはじめとして、『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(新曜社)を通じて、それまで社会科学でタブー視されていた死者の問題を正面に据えた。その中で、死者の霊に呼びかけ/呼びかけられる体験、亡き人の存在を身近に感じる被災地の声を受けとめてきたことが、「亡き人への手紙プロジェクト」につながった。
お手紙を寄せていただいたなかに、震災の現地で語り部をしている人がいる。その語りにはあるストーリーがあって、聴き手の感情に訴えかけ、震災を経験していない参加者はしばし災害について思いを馳せる。その女性が今回の手紙の寄稿を積極的に周りに勧めてくれた一方で、自らはすぐに筆を進めることができなかった。
語ることと書き続けることの間には、決定的な差異があるのかもしれない。つまり話しかける相手が亡き人になると、向き合い方にしばし戸惑うことになる。その女性のお手紙の冒頭は、人は亡くなったら無になるけれど、心は魂はどこへ、という問いかけである。まるでそこにいるかのように、伝えたい想いが優しく語りかけてくるのはなぜだろう。
言葉を受け取る相手は二人称(あなた)であり、第三者である見ず知らずの読者ではない。しかし、私たちがこれらのお手紙を読んで気づかされることは、私事の出来事を書きつづった手紙であるにもかかわらず、まるで二人称である亡き人の立場になってそれらの言葉を受け取ったり、その人自身に感情移入してしまうことである。いつのまにか「寄り添う」ことを超えた、立場の氷解が起こっている。
今回の試みは、31編の手紙の公開に加えて、事象を人だけに限定することはしなかった。それは父母を亡くした先の女性から教えてもらった言葉を、大切にしているからである。
「災害とは、その人が生きてきた中で一番MAX(最大限)の不幸を経験している」。
これは私たちが千年規模の災害において、比較の物差しを通して被害の程度を評価することに対する痛切な声にほかならない。喪われたものに大小はつけがたく、その人にしかわからない。それを周りにも吐露できない閉塞状況が、長らく続いているのではないか。
私たちはもう一度、彼女の言葉に耳を傾けながら災害を「公平」に見つめなおすことが求められる。したがって、本書を編む際に、失って初めてわかった郷里への感謝の想い、ペットの大切さなどそれまで手紙の対象として視野に入らなかったものを等しく加え、あえてトピック別に分けずに入れ子状に置いた。そうすることでオーケストラの演奏のように言葉が反響するように試みた。
世間では復興が日々叫ばれている。けれども、復興が取り戻せる何かだとすれば、二度とこの手に取り戻すことができない何かと向き合ってみると、行政が示すような復興とは何という絵空事なのだろうか。手紙を拝読して思った正直な感想である。そしてこの手紙には私たちが震災後に見過ごしてきた大切なことが、失われたものに切々と語りかけられている。
震災から六年が経つ。月日は人を癒したのだろうか? 歳月を重ねると、災害当初に受けた傷は軽減されうると思われている。だからこそ「当事者に寄り添う」第三者の言葉が震災直後に過剰に寄せられる。だが、次の事実は、あっさりそれを裏切ってくれる。
亡き人への手紙の取り組みは各地で行われていて、陸前高田市の「漂流ポスト」もその一環である。私たちがお手紙の寄稿をお願いしたある女性は、容易に手紙を書き進めることはできず、ぎりぎりまで悩みながら書いてくれた。事情を聴くために直接会ってお話をうかがうと、その女性は震災以来毎年ある仏教団体の「亡き人への手紙」行事に参加し、亡くした娘さんに手紙をつづり、ご供養とお焚き上げをしていた。最初の一、二年は言葉を選んで書いていたのだが、年月が経つにしたがって、3・11当日に差し掛かる夜明け前になって、ようやく言葉を絞り出し、短い文章にして送るという。
なぜ年月を経ると書けなくなるのか。当時六歳で娘さんを亡くしているので、たとえば五年目には歳を重ねて一一歳になっている。そうすると、手紙を「漢字」で書くのか「ひらがな」で書くのがよいのか、そこから迷い始める。
震災から六年経って成長した娘さんと、くっきりとした輪郭をもつ二〇一一年時点の娘さんの、二つの時間軸が並行して存在することになる。あの時から止まっている時間と、進んでいるはずの時間のはざまで引き裂かれる当事者がいることを、「書けない」手紙の存在理由として記しておきたい。
本書を進めるにあたって、髙橋匡美さんと松本真理子さんには助言と協力をいただきました。また批評家の若松英輔さん、「Kesennuma,Voices.」の堤幸彦監督とオフィスクレッシェンドのスタッフの方々には多大なご協力をいただきました。記して感謝申し上げます。
二〇一七年二月一一日
編 者