前書きなど
心理療法の交差点 まえがき
私はかつて次のように書きました。「心理療法が多様なのは、人間の多様性、文化、社会、個人の人間的特質の多様性があるからである。一言で言えば、心理療法とは人間的コミュニケーションによる関係の微調整であり、クライエントがより良い生活、人間関係を生きられるようなキッカケを与える、知性的および感性的な一連の体験の構造化である。それは必然的に、人間の文化の微細な様相に関わり、それゆえに工学や医学の得意とする科学・技術的過程の単純明快さとは、異なる様相を表すことになる」―(『臨床心理学とは何だろうか』第8章 新曜社、二〇一一)
さらに私は次のように書きました。「そしてまた、これら多くの心理療法は、ばらばらに切り離されて存在しているのではなく、歴史的にも社会的にもつながっており、そのつながりの様子もまた複雑であり、多様なのである。そもそも、このような問いを発して答えを手探りするという心的作業の意味は、その試みを通して、心理療法という発想と技術の本質を考えるというところにあるのではないかと筆者は考えており、その線で以下の考察を進めていきたい。この章が心理療法に関心をもつ読者の『考えるヒント』になったら幸いである」(同右)
そうしたことを常々考えていた私にとって出会いがありました。二〇一〇年の日本心理臨床学会の秋季大会で、東北大学の長谷川啓三先生の企画により「セラピーの交差点」という興味深いシンポジウムが開催され、私もコメンテーターとして参加しました。
このシンポジウムは、異なる立場で心理療法を実践される四人の先生方が、司会者の生田倫子先生から提供された事例の見立てと介入方針をそれぞれ解説し、お互いの異同を自由にディスカッションするというものでした。
本書はこのシンポジウムで知り合った心理療法家のグループによって企画立案されました。異なる立場の心理療法として、精神分析(妙木浩之先生)、認知行動療法(富家直明先生)、短期/家族療法(花田里欧子先生)、ナラティヴ・セラピー(三澤文紀先生)にご登場いただき、第Ⅰ部ではそれぞれの心理療法ごとに基本的な考え方などが説明され、第Ⅱ部では前述の考えや視点にのっとる形で、事例の見立てと介入方針がそれぞれ解説されています。さらに第Ⅱ部では、私もクライエント中心療法的な視点から、事例の見立てや先生方の論述についてコメントを寄せました。
そして、本書のクライマックスともいえるのが、第Ⅲ部に収載された座談会です。ここでは第Ⅰ部と第Ⅱ部の内容をめぐって、それぞれの立場から議論が交わされ、各アプローチの異同と本質について鋭く迫るスリリングな展開となっています。その複雑微妙なプロセスを追う楽しみは、生の心理療法の実践を学ぶ楽しみとなるでしょう。この本が、心理療法に関心をもつ読者にとってまさに「考えるヒント」になったら幸いです。
最後に、本書の出版を快諾してくださった長谷川啓三先生に心より感謝申し上げます。先生と私とは、はるか昔にやはり日本心理臨床学会の自主シンポジウムで初めて知り合った仲であると記憶していますが、その後は学会の懇親会などで歓談することが多く、先生の快活でスケールの大きなイメージ世界はいつもとても印象的なものでした。ある研究会での、「世界はメタファーや!」というご発言は、今でも私の脳裏に刻まれています。そのようなささやかな交流が、今回このような成果に結びついたことを、感慨を込めて振り返っています。ありがとうございました。
二〇一三年七月 編者を代表して
岡 昌之