紹介
◆赤ちゃんの心を探る心理学実験とは?
赤ちゃんは、自分で立つことも歩くこともままなりません。もちろん、しゃべ
ることもできません。たいへん無力で未熟にみえます。しかし、誕生間もない
ころからすでに、主体的・能動的に世界について理解するための認知的な基盤
を備えていることがわかってきました。しかし物言わぬ赤ちゃんをどうやって
調べたら、そうだとわかるのでしょうか。心理学の実験は、そのための有力な
方法です。近年は質的な研究法や脳科学からのアプローチも盛んになってきま
したが、本書は実験法ならではの醍醐味を味わいながら、乳幼児の世界を探険
するツアーへの招待です。著者は、津田塾大学教授、新潟大学准教授。
目次
乳幼児は世界をどう理解しているか─目次
1章 実験から乳幼児の心を探る
2章 乳児の有能さ
1 人に対する感受性
2 乳児の記憶――因果性の役割
3 世界の区別
おわりに
〈実験紹介〉自閉症児のバイオロジカル・モーション知覚
3章 乳幼児の記憶
1 短期記憶と長期記憶の発達
2 思い出という形での記憶の発達
3 目撃記憶――子どもの証言は信用できるか
4 記憶発達をもたらす知識
おわりに
〈実験紹介〉幼児期健忘の終焉時期はいつか? 3歳以前に経験した出来事についての記憶
4章 生き物をどう理解しているか
1 生物概念
2 発達についての理解
3 病気に関する理解
4 食べ物の汚染
おわりに
〈実験紹介〉食べ物の汚染理解の文化差
5章 心をどう理解しているか
1 心の理論
2 誤信念課題再考
3 「心の理論」の萌芽
4 嘘をつくこと
おわりに
〈実験紹介〉二次的信念課題
6章 物の世界をどう理解しているか
1 乳児期の素朴物理学――物の世界についての乳児の理解
2 大人の素朴概念と乳幼児期の素朴物理学のつながり
3 天文学領域の概念発達――地球は丸い? それとも平ら?
おわりに
〈実験紹介〉乳児研究における注視課題と探索課題
7章 自分をどう理解しているか
1 自己像認知の発達――子どもはどのようにして自分の見た目(顔や姿)を知るのか?
2 乳児にみる自己理解の発生基盤――鏡の中の自分に気づく前
3 幼児期の自己概念
おわりに
〈実験紹介〉3分前の自分の映像と、今ここで感じている自分との結びつき
あとがき
文献 (7)
索引 (1)
装幀=難波園子
イラスト=福林春乃
前書きなど
乳幼児は世界をどう理解しているか―あとがき
実験という窓から、私たちは乳幼児の心の何を見ることができるのでしょう。実験は観察法など他の研究法と比べ、どのような特徴をもっているのでしょう。これらの問いを意識しながら、本書では乳幼児期の認知発達をとりあげました。
心理学でも近年は、脳科学(神経科学)が大きな注目を集めています。アメリカでは、脳科学の手法を用いないと、研究費を獲得しにくい状況になっているとも聞きます。そのうち心理学者の仕事はなくなってしまうのではないかと思えるほどの勢いです。脳科学では、何かの刺激を受けている時、あるいは何かの課題に取り組んでいる時の脳活動を計測し、心理的機能の脳内基盤を明らかにしていきます。最近では乳幼児にも使える装置の開発が進み、たとえば誤信念課題(4章)に取り組んでいる時、バイオロジカルモーション(2章)をみている時などの乳幼児の脳活動が、少しずつわかってきました。実験では「選ぶ」とか「触る」とか、何らかの行動を乳幼児に求めますが、行動に表出されなくても脳内では何らかの反応が生じているという事態は十分に考えられます。脳科学の手法を用いれば、こうした現象をとらえることができるわけです。その意味で、脳科学は今後ますます認知発達研究において大きな位置を占めていくでしょう。
一方、質的研究法を用いた研究も増えてきています。実験では課題や条件を統制し、課題間あるいは条件間での行動を比較していきますが、質的研究ではごく限られた対象について、現象をこと細かく記述し、深い考察を加えていきます。質的研究法を用いれば、実験ではなかなかみることのできない発達のプロセスをとらえることができます。たとえば、誤信念課題は3歳から4歳にかけて、急速に通過率(課題に正答する子どもの比率)が上昇しますが、この時期のある時点で天から降ってくるようにして理解が獲得されるわけではありません。日ごろの経験のなかで、またそれまでに獲得してきた認知的機能が素地となって、理解は徐々につくられていきます。そこに至るプロセスを実験でとりだすことはなかなか難しいのですが、たとえば「だます」のように誤信念の理解と関係する行動がどう出現してくるかを丹念に観察・記述していけば、プロセスの一端をつかまえることができるかもしれません。
研究法にはどれも一長一短があり、現象を説明するレベルもさまざまです。脳科学的手法を用いることでわかる発達の姿、質的研究によってみることのできる発達の姿、そして実験から明らかになる発達の姿¥文字合成(合成, ,……)これらを重ねあわせることで初めて、発達の豊かな世界が開けてきます。実験から明らかになるものは、その世界を写したスナップショットにすぎません。しかし、注意深く課題を組み立て、子どもが最大限の能力を発揮できるよう配慮しながら実験を行うことで、そのスナップショットは発達の貴重な節目を写したものにも、肉眼ではみえない子どもの姿を写したものにもなります。もちろんこうした配慮を怠れば、ピンボケ写真になってしまうことにもなります。
さて、本書のきっかけとなったのは、私たちの友人である認知心理学者・岩男卓実さん(元明治学院大学准教授)の急逝にあります。私たちが企画した発達心理学会でのシンポジウムに指定討論者としての登壇をお願いし、ご一緒するのを心待ちにしていた折のことでした。
中島が岩男さんとご一緒した仕事の一つに、ゴスワミ(Goswami, U)が著した『Cognition in Children』(邦題『子どもの認知発達』新曜社)の翻訳があります。幸いにも、本書は研究者を中心に良書だという評判をいただいていますが、入門者にとってはやや専門性が高いようです。後に出版された改訂版(『Cognitive Development:The learning Brain』)も同様です。「より多くの人に認知発達研究の面白さをわかりやすく伝えたい」「認知発達を支える本質が筋として貫かれている一冊の本を届けたい」¥文字合成(合成, ,……)翻訳を進める中で、このような話を彼と幾度となく交わしたことが思い出されます。
岩男さんの生前の願いを少しでも反映する仕事はできないものか。彼の急逝に呆然としながらも、このような思いを私たちが共有したことで生まれたのが、本書です。
草稿の段階では、五十嵐有貴さん、外山和子さんに貴重なご指摘をいただきました。私たちだけではわからない点に気づかせてくださったおふたりに感謝いたします。明和政子さん(京都大学)は、チンパンジーの実験に関する貴重な写真を快くお貸しくださいました。また、福林春乃さんは、本書のためにわかりやすく素敵なイラストを描いてくださいました。記して感謝いたします。新曜社の塩浦¥外字(97ef)さんは、本書の企画から出版まで私たちをあたたかく見守り、時に鋭い助言をくださいました。塩浦さんなくして、この本の出版はあり得ませんでした。ありがとうございました。
最後に、本書を手にとり最後までお読みくださった読者のみなさまに心からの感謝を申し上げます。本書をきっかけとして、ひとりでも多くの方が乳幼児期の知的発達に、また実験法による発達の探求に興味を持ってくださったら、これ以上の喜びはありません。
本書を、私たちの友人である岩男卓実さんにささげたいと思います。
2013年1月23日
外山紀子
中島伸子