紹介
心理学に新風を吹き込んだ『アフォーダンスの心理学』(新曜社)で知られるリードは、将来を嘱望されながら42歳の若さで亡くなりました。本書は、ギブソンの生態学的心理学とデューイなどのプラグマティズムを社会哲学に応用した遺作ともいえる書です。インターネットなどのメディアの発達で、人間の「経験」はますます「間接的」なものになってきていますが、リードは独自の生態学的情報理論をもとに「直接経験」の必要性を説きます。関係性とプロセスの働きの結果としての「主体」概念から始めて、教育、労働、遊びなど多面的分野で人間的経験の復権を訴えます。新しい経験の時代に入った今、われわれは何を経験しているのか、振り返ってみるのに最適の書といえるでしょう。
目次
経験のための戦い 目次
序章 経験のための抗弁
第1章 あなたはこれまで経験を経験したことがあるか
――哲学は実在世界に直面する
現実世界から遊離した哲学者たち/経験を救うためのプラグマティックな試み
第2章 経験の哲学を探究する
デューイの自由の哲学/人間性とその鏡/進歩への展望
第3章 不確実性の恐怖と経験からの逃走
邪悪な霊/心の機械加工/現実の脅威
第4章 現代の職場における経験の衰退
お神籤入りクッキー工場にて/引き裂かれた生活、断片化された労働/ 労働の機械化
第5章 経験を共有する
世界に触れつづけること/世界に門戸を開くこと/ポスト・モダニストはなぜ寝そべってテレビ視聴に耽るのか
第6章 経験と生活への愛
行いはどうして行われるのか/エロティックな経験/経験を育むこと/すべての経験は同等につくられるのか?
第7章 経験と希望の誕生
取引という経験/<ほんもの>を超えて/経験の成長/経験を評価すること、民主主義を評価すること/希望
終章 経験のための戦い
解説をかねた訳者あとがき
文献案内
索引
装幀 桂川 潤
前書きなど
序章 経験のための抗弁〔plea 被告に立たされた「経験」を擁護する弁論を張るということ〕
いわゆる情報化時代がはらんだ種々のアイロニーには、当惑をおぼえざるを得ない。情報を処理し伝達するためのテクノロジーは、ここ数十年で急速に進んだが、テクノロジーのこの進歩にもかかわらず、人々のあいだの、意味にみちたコミュニケーションは、はなはだしく退化しつつある。その徴候は、ナショナリズム、セクト主義、そして人格への暴力の著しい高まりに認められる。また、この徴候は、われわれの「進んだ」社会に無知や無学が増加していること、そして社会の多くの場所で、頭を使わない労働が増加していること、そのつらさを解消するのは頭を使わない娯楽だけであるという事実、にも認められる。悲しいことに、われわれの多くは、この情報化時代における労働時間の大部分を、ボタンを押すことやアイコンをドラッグすること、そして他人によってつくられた記号、われわれにとって何も意味を持たない記号に、機械じみた反応をすることに費やすよう運命づけられている。こんなにも多数の人々が余暇をチャンネル・サーフィングつまりテレビのチャンネルを漫然とあちこち切り替えることに費やしているのを、誰も不思議とは思わない。
本書を執筆しているさなかも、ただ一種類の情報をのぞき、ありとあらゆる種類の情報が流れるようにするために、アメリカ大陸全体をおおう情報スーパーハイウェイの整備に何百万ドルもの予算が費やされつつある〔一〇九頁の注を参照〕。こうした開発から取りのこされているのが、残念ながらもっとも大切な情報なのである。これこそが、すべての人間が、見ること、聞くこと、触ること、嗅ぐこと、味わうことで環境から獲得する情報この種の情報を「生態学的」と名づけようであり、われわれが事物を独力で経験することを可能にする情報である。
世界に関するたいていの経験は、われわれ自身の要求と理想を基礎にして、自らの目標に役立つこの種の情報を使用することから生まれる。日常的環境にはわれわれの感覚に訴えるたくさんの情報が見いだされる。周囲の状態や日常生活の意味を理解するのに使用されるのは、こうした情報である。生態学的情報は他の人々についてのわれわれの経験にとって特に重要である。対面的な相互行為はすべての社会関係の源泉であり、こうした相互行為がどうして可能なのかといえば、生後一年のうちに、すべての健康な子供が生態学的情報を使用するのに要する、繊細な、さまざまな技能を獲得するからである。人間は、お互いについて並はずれて鋭い観察者である。顔の表情のこのうえなく繊細な変化を察知でき、声にこめられた疑いや痛みのごくささいな抑揚も聞き分けられるし、姿勢や身振りがわずかに変化したのに気づくこともできる。テレコミュニケーションが出現するまで、社会的相互行為と社会的規制のあらゆる形式を直接に基礎づけていたのは、一次的経験についてのこれらの技能であった。