目次
まえがき
プロローグ──墓碑に記録された生涯の旅路
戦 前
I 母のタルタクフを求めて
タルタクフ──ガリツィアのユダヤ人町
祖父アーロンと祖母スプリンツェ
家族の家 ほか
Ⅱ 母の若い頃
若気の反抗
少数民族問題──ウクライナ人とユダヤ人
クラクフでの貧乏と友情 ほか
戦 争
Ⅲ ソ連支配の幕間劇
幻滅
最初の疑惑
共産主義の天国〈父ロメクと母サルナの物語〉
帰郷 ほか
Ⅳ ナチの占領──猛攻
ルヴフ、1941年6月──母性と戦争
ルヴフの飢餓
壊れた乳母車──ジュウキェフの物語
ルヴフ・ゲットーでの一か月 ほか
V ナチの占領── 一人打って出る
三枚の写真と一通の手紙
「お前はゲシュタポの手に落ちた」
──ジェシュフ・ゲットーへの旅
デンビツァの鉄道の駅(1943年春) ほか
Ⅵ 解 放
ボレク村からの逃亡
クラクフ、1945年冬──最初の自由の味
最初の生存者たちの話 ほか
戦 後
Ⅶ ドイツ人撤退以後のシロンスク地方
私の最初のクリスマス
ドイツ人仕立て屋のハンガー
失われた天国──極秘のパレスチナ旅行 ほか
Ⅷ 母に見守られて──子供時代の光景
医療管理の下で
愛犬ボニー──私の幸せの瞬間
母親としての献身ぶり ほか
Ⅸ 目撃した歴史
スターリンが死んだ日
波乱の年、1956年──最初の政治的転換
1956年のイスラエルでの夏休み
政治的自由化の弱点、
あるいは「私はいかにして母と別れたか」
Ⅹ 父の保護の下で
成人を目指して
私の家出
イスラエルに母を訪ねる
新移住民
「お前はホロコーストの中では、
一日も生きていけなかっただろう」
Ⅺ 旅立ち
私のオックスフォードへの旅立ち(1967年)
ワルシャワとオックスフォード(1968年)
父のアメリカへの旅(1968─ 69年)
母のポーランド退去(1969年)
ワルシャワに別れを告げる(1969年)
Ⅻ そしてその後──エピローグに代えて
父の死亡記事
晩年の母の肖像
母だけの部屋
高齢化とトラウマについての省察
日本の読者のみなさまに──著者あとがき
訳者あとがき